北海観光節旅行記白鬚神社と沖縄・東北

ンブフル

時刻は10時30分。もう2時間以上歩き,船の時間まで1時間余りしかなくなった。南北に3km,東西に2kmほどの小さな島なので,すぐに歩けるかと思ったが,意外と時間がかかった。

このまま東へ歩いて行くと,2012年6月にオープンした「星のや 竹富島」があるはずだ。島外者に土地は売らない,さらには旅館・ホテルの類は許されないという規定まであったという島で,星のやのオープンまでには紆余曲折があったらしいが,島を散策してみれば,その存在に気付かされたのは,送迎の車や星のやのマークを付けた水牛車があったくらいである。

再び集落に入る。

集落内は,どこまでも石垣と白い砂の道が続いている。

集落の南側に位置する仲筋村の中心。仲筋村伝統芸能継承の碑などがあった。

ちろりん村 五香屋 南潮庵

立派な町営住宅。

貯水タンク。島の上水は,石垣島から海底送水で供給されている。

どう見ても,水には乏しそうな島なので,旅館ではシャワーなどできるのか不安に思っていたが,取り越し苦労だったのはこの貯水タンクのおかげだ。

昭和51年に海底送水が実現するまでは,この仲筋井戸が使われていた。犬が見つけた井戸だという。いまも水が湛えられていた。

 

井戸の近くには,ンブフルという,牛が一夜で築いたという不思議な話が伝わる丘があった。

 

展望台は入場料が100円だった。1日に何人のお客さんが訪れるのかわからないが,きちんと管理人さんがいた。

島の最高所というだけあって,360°海まで見渡すことができた。古くは中国との貿易に東シナ海を駆け回った倭寇の見張り所だったという。

 

旧与那国家住宅。大正2年の築で,国の重要文化財に指定されている。

花壇がきれいな,竹富小学校,竹富中学校。

石垣市,竹富町,与那国町からなる教科書採択の地区協議会では,2011年,中学校の社会科教科書の選定を巡って,全国ニュースになるほどの激しい議論が交わされた。結果的に,「公民」の教科書に「つくる会」系と呼ばれる育鵬社版の教科書が採択された。自衛隊や日米安保を肯定的に評価するなど,他社版と明らかに異なる論調の教科書が,沖縄で採択されたことに驚いたが,国境地帯である八重山地区は同じ沖縄でも沖縄本島とはまったく異なる考えを持っているのだという。

しかし,竹富町はこの地区協議会の決定に従わず,寄付金により他社版の教科書を購入する形をとっており,地区内では同一の教科書を採択しなければならないという教科書無償措置法への違法性も指摘されている。そこまでして,育鵬社版の教科書を拒む強靭な意志はどこからくるのかということがまた不思議に思われたが,この桃源郷のような学校を見たとき,いくらか理解できるような気がした。

学校のすぐそばには水牛車の乗り場があった。この水牛車の営業所がまた,神聖な領域を侵しているとかで,移転を求める人たちとの間で,もめているという。

星のやに教科書問題に,水牛車営業所移転問題と,小さな島で,この数年もめごとが続いているようだが,住民の心は大丈夫なのだろうが。どんなことがあろうと,真面目に生き,文化を絶やさず,自分たちで将来を切り開いていく心は失ってはならないし,その心が守られるならば,受け入れるということも必要ではないだろうか。

保育所 診療所

 

仲筋御嶽(なかすじうたき)(サージオン) 清明御嶽(しんみうたき)

島内にはこのような拝所が28もあるという。

安里屋(あさとや)クマヤ生誕の地。墓には聖女とあったが,こちらは美女とあった。沖縄を代表する民謡安里屋ユンタ発祥の地である。

隣には手づくり雑貨の店があったが,のぞいてみると「どうでしょう,奥さんでもいれば」と困った顔をされた。

竹富島を訪れる観光客とは,どんな人なのだろう。海水浴をするには,町が上品すぎる。水牛車観光も,最初は楽しいだろうが,リピーターを呼ぶほどの深みはないように思われる。いずれにしても,私などは観光客として想定されていないようで,若干のいづらさがあった。

水牛車観光は2社あって,こちらは新田観光。巡るコースも異なるらしい。乗ってみても良いかなと思ったが,由布島で乗る予定なのでやめておいた。

そば処竹乃子 やまもり食堂 茶屋たかにゃ

朽ちかけた茅葺の建物もあった。瓦が普及する前は,茅葺も多く用いられたらしい。

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