インポートを中心としたセレクトショップが並ぶアメリカンデポ。ショーウィンドウもアメリカ風に飾り付けがされていた。
ゴミ箱もアメリカ風である。
カフェはまだ営業していた。
デポアイランド。ディズニーランドのようである。
アメリカ生まれのサンダル「クロックス」の専門店。
お土産の山忠本舗
帽子屋Flava。
こういう店が,ほとんど無数にあった。
レストラン。
22時を回り,いったんホテルにチェックインする。フロントはとても温かみを感じる対応だった。北海道のホテルはサービス三流といわれて,沖縄と比べられることがあるが,この違いはどこから来るのだろう。
ホテルでは,「夜だけ市場」がまだ営業していた。
客室は3階だったが,最上部の24階まで中空になっていた。
再びアメリカンビレッジに出て。遅めの夕食とする。シーサイドスクエアにて,奥原流・北海道ラーメン「追風丸」。里帰りした大学生であろうか,これからまだまだ遊ぼうという少年たちで,賑わっていた。
北海道ラーメンといっても道内では,それほど有名ではなく,伊達紋別で1回だけ食べたことがある。真面目に作っているラーメンだった。
今年も残すところあと1日。ここで,今年亡くなった歌手の方々を偲んでおく。1人でカラオケ屋に入るのは2回目だが,1人で焼き肉屋に入るよりは敷居が低いと思う。
まずは沖縄俗謡歌「十九の春」。この歌を1975年に発表して大ヒットさせたのが田端義夫。今年4月25日逝去,享年94(歳)だった。
田端義夫は子供のころから知っていたが,いいなあと思うようになったのは,ここ5年くらいである。大利根月夜,かえり船などいくつかのヒット曲しか知らないが,どうしようもなくいいと思う。
そして,11月8日に亡くなった島倉千代子。大学に入って時間が自由になったとき,歌のことを知りたいと思って,FMラジオの歌番組を録音して,歌を聴き込んだ。女性歌手で美空ひばりの次に聞いたのが島倉千代子だったと思う。
1996年,私が大学2年のとき,島倉千代子はこの「ときめきをさがしに」で紅白歌合戦に出場した。ほかの人には歌えない,とてもいい歌だと思う。ところが紅白歌合戦では,左手に歌詞カードを持っていたにもかかわらず,歌詞を間違えてしまって,どうしたのだろうかと心配したが,振り返ってみると,あのころから本調子ではなかったのかもしれない。
まだまだ若い,これからまた島倉千代子の時代が来ると信じていただけに,訃報はショックだった。
日付が変わり,大晦日になろうとする頃。広場では占いのテント小屋が軒を連ね,少女たちが列を作っていた。これも沖縄ならではの光景だろうか。
ホテルに戻り新聞を見ると,「知事承認不支持61%」という記事が1面に載っていた。3日前の辺野古埋め立て承認を受け,緊急世論調査を行った結果である。
たしかに,過半数が不支持ではあるようだが,一方で「支持する」「どちらかといえば支持する」を合わせると34.2%となる。一昨日の,あの全県民が反対しているというようなセンセーショナルな報道を思うと,意外と支持派もいるのだなという印象を受けた。今日訪ねたアメリカンビレッジだって,根っからアメリカを嫌っていれば,こんな施設はあり得ないだろう。沖縄の言論はどういうことになっているのだろうか。