旅行前にパスなび沖縄というアプリを携帯電話にインストールしておいた。これは,複数会社間の乗り換えに対応し,バス停の接近情報もリアルタイムでわかるなど,なかなか優れものだったが,本日12月31日が休日ダイヤで運行されていることに対応しておらず難儀した。
琉球村が,今回訪れる沖縄の最北端。あとは南下する。
乗換のため嘉手納で下車。嘉手納町の中心部である。
嘉手納で東へ向きを変える。
道の駅かでなでバスを降車。
ただいまの騒音は54デシベル。さすがに今日は飛ぶ飛行機もなく,いたって静かだ。
道の駅の屋上が嘉手納飛行場の展望場になっている。西太平洋最大の米空軍基地と言われる広大な飛行場である。
3階が学習展示室になっている。
そこには戦前の嘉手納のジオラマや地図があった。いかにものどかな農村が,戦争で壊滅させられ,町域の80%以上が米軍に接収されることになったのだ。
沖縄も他県に劣らずイルミネーションが盛んな土地柄のようだった。
道の駅には30分ほど滞在し,バスでコザに向かう予定だった。
沖縄のバスは手を上げて乗るようにとガイドブックには書いてあった。これまで実際に手を挙げている人を見なかったが,バス停でははっきりと手を挙げた。
しかしバスは停まらなかった。運転手は,まっすぐ前しか見ておらず,バス停のほうに視線を配っていなかった。
別に沖縄のバスだからというわけでもないだろうが,やはりこういうことがあっては困る。
どうしようかと呆然としていると,運よくタクシーが通りかかったので,拾ってもらった。
とりあえず,バスの行き先だった,コザ十字路までと告げる。
しかし,運転手さんは,コザ十字路は何もないよと言う。コザとは県下第2の都市,沖縄市の旧称である。十字路は沖縄市の中心だったはずで,たしかに昔は栄えていたが,今はすっかり寂れて,その近くにある胡屋の方が賑わっているという。
コザからどこに行くのと聞かれて,中城だと言うと,運転手さんは,どうしても中城まで私を連れて行きたいようで,それもいいかなと思ったのだが,寂れているというコザも気になった。
あくまでも予定どおりコザまでとお願いすると,運転手さんもあきらめたようだった。そして,コザには吉原があると言った。「遊郭ですか」と聞くと,そうだという。遊郭のことを吉原と呼ぶとは,ずいぶんまわりくどい言い方をするものだと思ったが,実はコザに吉原という地名が実際にあることを後で知った。
当然のことながら,今は遊郭などない。しかし,吉原特飲街として赤線まがいの一帯がずっと遅くまで残ったのは沖縄ならではの事情で,運転手さんが言っていた「がさ入れで壊滅した」という話も,比較的最近のことらしい。
車で通ってもらえますかというと,今はもうなくなったので全然危なくないから,歩いてみて回ったほうがいいという。
そこの食堂の脇が入り口です。200件,300件と奥までありますから,ゆっくりご覧なさい,と言われて降ろしてもらう。コザ十字路の本当にすぐそばだ。
独特の雰囲気がある。
表札も何もないドアが建物にいくつもついていたりする。
運転手さんはもうないと言っていたが,まだこの街は生きている。いかにもな人が道路を歩いたりしており,堂々とカメラを建物に向けるのははばかられる雰囲気があった。
まだまだ奥があるのだろうが,不気味なので早々に大通りに出た。
豆炭は沖縄でも寒いときに使うことがあるのかなと思うが,アイスピンとは何だろうか。
これがコザ十字路。たしかに想像以上に何もない。建物が取り壊されてしまった感じだ。
十字路の近くに銀天街というアーケード街があった。
ここがまた,衝撃的な寂れようだった。何があったのだろう。
コザ銀天大学,中学生によるシャッターの装飾,空き店舗でのデイサービスなど,いろいろな取り組みがなされているようではあった。
車の通らない狭い路地に入ると,いくらか活気が残っているようだった。