次の目的地,普天満宮まで歩く。民家の中を行く道路は「世界遺産グスクのふるさとのみち」として,日本の歩きたくなる道500選に選定されていた。
道端には彫刻があったり,たしかに心地よい道だ。
シーサーも型にとらわれず,ほのぼのとしている。
沖縄の漢字の読みにくさには辟易としたが,北を「にし」と読むのは,ひねくれるにしても度が過ぎていないか。
語源としては,北は過ぎてきた方という意味から,イニシが転訛してニシになったらしい。これが日本本土の場合は,民族として去ってきた方角が西になるので,西をニシと呼んでいるという説もあるようだ。
種じゃがいもというのは初めて聞いた。北海道では,種いもといえばじゃがいもに決まっている。
民家を抜けてからは,しばらく殺風景な道が続いた。こんな道を歩くなら,早々にタクシーに乗れば良かったかなと後悔しかかったとき,思いがけず古い石畳の道に出くわした。野嵩石畳道といって,宜野湾市の文化財に指定されている。
この石畳道によって,400mほどショートカットできた。車は通れない近道があって,しかもその道がこんな趣ある道だったりするのは,歩いていていちばん嬉しいことである。
石畳道を上ったところにあったお地蔵様。「幸せ地蔵」と名付けられていた。2年前に崖下の沼地で発見されたのだという。
宜野湾市に入ると,なんとなく商店の雰囲気が異国風になった。
和傘がむしろ異国情緒を醸し出す。
普天間の中央通り。
歳末の買い出しで賑わうスーパー。
普天満宮。
神社の周りでは9時間後に迫った初詣に向け,出店が準備を始めていた。
拝殿。琉球八社の一つで,熊野権現と琉球古神道神をご祭神としている。
洞窟の中に奥宮がある。初詣の準備で神社も忙しいので,どうかなと思ったが,15時までは拝観可能だという。ぎりぎり間に合った。
授与所で申し出て,名簿に記入すると,巫女さんが洞窟の中まで案内してくれた。
鍾乳洞の中に祀られた奥宮。人間がどんなに趣向を凝らして作った祭壇でもかなわない見事さだと思った。
洞窟から出ると,入れ代わりで,米軍関係者と思われる人たちが,中に入っていった。この人たちが,今年最後の奥宮参拝者になるのかもしれない。
早くも,お札を求める人がたくさん訪れていた。
アメリカ人もちらほらおり,巫女さんは英語がペラペラだった。
今回,北谷のアメリカンビレッジにはじまり,嘉手納,コザ,普天間と,米軍色の強い地域を訪ねたが,米軍基地に対する表立った反対ムードは感じることができなかった。これはある程度予想していたことである。それよりも,何と言っても驚いたのは,県紙のセンセーショナルな報道だった。世論というのはこうして作られるものかと思った。このことに気が付いてみると,基地問題について喧伝している映画などを見ても,すべてが作り事なのではないかと疑ってしまう。
そしてまた,これは沖縄問題だけに言えることではなく,実は日本全体が作られた世論に翻弄させられているのではないかとも思った。内にいては気が付かないプロパガンダによってやたらと危機感をあおり,人々を絶望させているというようなことがもしあるとすれば,それはその問題そのものよりも罪作りなことである。
こんなことはいままで考えたこともなかったが,今回外から沖縄を見て思ったことである。