神社側の臨時改札は閉まっており,本来の西側の改札に向かう。
何とか,予定の列車に間に合った。
車内は割と空いていた。早速肩を寄せ合って寝に入る二人連れ,穏やかに談笑する青年,破魔矢や綿あめを買い込んだお父さん。いずれにしても,家族は存在しない。それが,いまの私にはむしろ心地よい。
大神神社の人出は相当に多かったが,東京や京都の神社にはない,暖かさを感じる初詣風景だった。
30分弱で奈良到着。
待合室には疲れている人たちもいた。
始めは空いていたが,駅に停まるたび,ばらばらと初詣帰りの人たちが乗ってきて,京都に着いたときには立つ人が出ていた。
それにしても,普通,2時を過ぎると人出が引くものだが,今日は人波が途絶えることがなかった。これが古都の文化なのだろう。
湖西線始発の定期列車。
この先は,JRで一路北上する。
この列車にも初詣の帰りと見える人たちがたくさん乗っていた。普通,元旦早々の初詣は,受験生など若い人たちが大勢を占めるものだが,この時間から年配の人の姿も目立ったのは,さすが京都だと思った。
少し向こうのボックスには,80代後半か,ひょっとすると90歳を超えているのではと思われるお婆さんが4人で談笑していた。こうして老いて女友達だけで出てこられるということは,恐らくみなご主人を亡くしているのだろう。それぞれに大変な苦労をしてきた人たちに違いない。しかし生きながらにして既に観音様のような幸せな顔で,楽しそうに話していた。本人たちも「こんな景気のいい話ばかりしていいのかしら」と言っていた。できることなら,皆がこうして穏やかに過ごせる時代が来てほしいものだ。
朝まだき近江舞子駅に降りる。
意外なことに少年少女5人も降りた。少女3人の連れ立ちは,「目立つね」と言って降りて行った。どうやら私と同じく初日の出を見に行くらしい。
近江舞子は白砂青松100選に数えられる,琵琶湖畔の名勝である。
キャンプ場入口。
水泳場の駐車場には車が何十台と停まっていた。旅館の宿泊客だろうが,何のために泊まっているのだろうか。
砂浜では少年少女が日の出を待っていた。しかし,こちらから太陽は上がらない。
やや年齢層が上がって,20代と見えるこの人たちがいる場所も,北を向いており,太陽は上がらない。
リュックを背負った一人旅の青年も2人いた。最近は一人旅で初日の出を見に行くのが若い人たちの間で流行っているのだろうか。だとしたら同志が増えたことになるので嬉しい。しかし,彼らのいる方角も太陽は出てこない。せっかく初日の出を見に来ておいて方角を誤るとは,理解に苦しむ脇の甘さだ。
砂州をしばらく歩く。
ようやく雄松崎を回ってようやく南向きの砂浜に出た。そこにいたのは,年配の人たちと,家族連れだった。初日の出を拝むにも人生経験が必要ということだろうか。
これまで,初日の出を見に行ったことは10回あって,太陽が見れなかったことは一度もない。雲一つない水平線から上がるということは,めったにないが,少し待てば,たいていは雲間からお天道様が現れてくれるもので,それはそれで良いものである。
今日も,日の出は7時05分頃の予定だが,8時頃まで滞在時間を確保してある。
しかし,小雨模様で一向にお天道様が現れる気配はない。それでも信じて待つ。
初日の出を見に来た人たちは,ぽつらぽつらと帰っていった。7時24分,最後まで残っていた老夫婦が去っていった。
湖畔に一人立つ。ついに鳥だけが仲間になった。
湖は沖縄の海並みにきれいだ。
空は晴れてきた。あとは時間の問題で,必ず日の出は見えるはずだ。
しかし,8時まで待ったが時間切れ。このあとまたどこかで初日の出が見れることを期待して駅に戻る。
内湖の向こうに蓬莱山を見る。