予定の列車で白鬚神社の最寄駅・近江高島駅へ向かう。
雲間から日が差し始めた。日の出に間に合うだろうか。
2駅で近江高島に到着。ガリバー青少年旅行村へのアクセス駅ということで,駅前にもガリバー像があった。
駅を出て,神社の方向に走る。8時26分、お天道様が見えた。これまででいちばん遅い初日の出である。
今年も無事旅先で新年が迎えられました。今年も平和な年でありますように。
のどかな田んぼの中を行く。近江湖の辺の道と名付けられたこの遊歩道は,湖西線開通前に走っていた江若鉄道の廃線跡だという。
時折,初詣帰りの人ともすれ違った。4kmの道を歩いて行くという同志がいるのは嬉しいこと。
喧騒の国道を避け,いにしえの街道・西近江路に入る。
この道は都と北陸を結ぶ,旧北陸道だという。
途中にあった県指定史跡・鵜川四十八躰仏。
さらに進むと,石垣で築かれた見事な棚田があった。しかし,すべて放棄されていた。
駅から30分ほど歩いたところで,国道に出た。白鬚神社の鳥居が見えてきた。
湖畔の大鳥居は,国道が横断禁止になっており,間近で見ることはできなかった。
神社は山側にある。
白鬚神社。
はじめにも書いたが,曾祖母は旧姓を白髭と言い,字は違うがこの神社にゆかりがあるという。
曾祖母は明治31年生まれで,私が5歳のときに死んだ。しかし,私は曾祖母に育てられたと言って過言ではないと思う。当時,母は7人家族の家事や,妹の世話に忙しく,祖母はまだばりばり仕事をしていた。だから私は,幼稚園から帰るとたいてい隠居部屋の曾祖母を訪ね,いま振り返れば,人生の中で最も幸せと思える穏やかな時間を過ごしたのである。
最近になって,良くも悪くも,自分の中で曾祖母の影響が非常に大きいと感じることがあり,白鬚神社を訪ねてみようと思い立った。
曾祖母は滋賀で生まれ,7歳の頃に北海道に渡ったらしい。琵琶湖は記憶にあったと聞く。
今回の旅行にあたり,曾祖母を母親として育った人たち,すなわち,祖父の妹2人に,改めて白鬚神社のことを聞いた。
そのうち白鬚神社も訪ねたことがあるという94歳の大叔母によれば,白鬚神社との関係は,思っていたよりずっと近いものであった。「私はツアーで行ったのでゆっくり見れなかったが,1人で行くなら神社の人にぜひ聞いてみて」という。
しかしそれは幻想かもしれない。北海道に渡って既に100年以上,大叔母もずっと信じていることを,いまさら確かめるのはやめようと思った。
思ったより参拝者が少なかったが,境内はけっこう広い。
本殿は桃山時代の建築で,国の重要文化財に指定されている。
外宮,内宮,三社。
弁財天,稲荷社,天満宮。
岩戸社。
謡曲「白鬚」の舞台にもなっており,拝殿には役者の名前が掲げられていた。
曾祖母の父親は,滋賀にいたころ神楽(大叔母は神楽だとも素人芝居だとも言った)の役者だったといい,北海道に渡ってからも1人でやって見せることがあったという。
長寿の神様ということだけあって,長寿に後利益のある授与品がたくさんあった。なかなか来れるところではないので,ひととおり求めておいた。
天幕の中では,白ひげ名物「白ひげ汁」がふるまわれていた。伝統あるものかと思って聞いてみたら,今年で4年目で,これから有名にしていきたいとのことだった。