北海観光節旅行記秋の湯殿山・尾瀬

27. いわき

2015年9月23日(水)

5連休のシルバーウィークも最終日となった。5時20分,宿を発つ。

郡山市は,東日本大震災の後,放射線量が県外の他都市と比べて明らかに高いように見えたが,それによって町が廃れたということはないようで,見た目には震災の影響をまったく感じることができなかった。除染はかなり行われたそうだ。

郡山5:30発→いわき7:08着 磐越東線 いわき行き普通列車

3両編成の気動車はがら空きで発車した。磐越東線は2000年以来15年ぶりの乗車となる。

福島県はもともと日本有数の米どころで,震災前には新潟,北海道,秋田に次ぐ4位の生産量を誇っていたという。震災後はさすがに7位まで落ちたが,このあたりでは普通に米が作られているようだ。福島県産のすべての玄米を対象に行われている全量全袋検査でも,昨年度は基準値越えとなる袋がなかったそうである。

葬儀の花輪は,北海道より一回り大きく地味だ。花輪を屋外に並べるというのも,北海道ではあまりやらない。

あぶくま洞への入り口。いつか行ってみたい。

磐越東線は最高速度が時速100kmとローカル線にしては早く,快調に飛ばしていく。中間地点の小野新町駅からは極端に列車本数が減り,1日6往復の閑散区間となる。

夏井川渓谷,背戸峨廊を控えたお食事処・朝日屋。

 

夏井川渓谷と夏井川第一発電所。発電所は大正5年の設置と古く,最大出力3,700kWという。震災で事故を起こした福島第一原子力発電所の出力の1000分の1にも満たない規模だが,だからといって水力が取るに足らないわけではなく,電気とは本来それだけ貴重なものだと考えなければならない。

沿線の農家に瓦葺は比較的少なく,大船渡線などと比べると素朴な風景だった。

今日は彼岸の中日。車窓に見るお墓には,ほぼすべてに花が供えられていた。

1時間半ほどでいわきに到着。いわき以南の常磐線は震災の年の7月1日時点で完全に復活しており,特急列車も上野,品川行きが多数運転されている。

いわき市は人口約35万人で,我が旭川市と東北以北第3の都市を長年競い合っている。

住んでいる感覚からしても意外に思うが,秋田市,盛岡市,青森市,福島市といった県庁所在地よりも,いわき市,旭川市が頭一つ抜けて人口が多く,東北,北海道では札幌市,仙台市に次ぐ人口を有する都市となっている。

国勢調査の人口で比較すると,1980年に旭川市がいわき市を抜いた後,1995年にいわき市が抜き返し,2005年に再び旭川市が上に出たが,2015年の速報値ではいわき市が349,344人と2010年の調査と比べて何と7,095人の増となり,またまた逆転して3位となることが確実である。

住民基本台帳をもとにした人口統計では,避難しても住民票を移さない人が多いため,一時期いわき市の人口が減って郡山市が福島県下1位となったとの報道もされたが,原発事故に伴う避難区域からの住民を最も多く受け入れているのはいわき市であり,その実態がようやく今回の国勢調査で反映された結果となった。

駅前を少し歩いて気が付いたのは,まず従業員募集の貼り紙の多さである。人手不足は全国的な傾向だが,一段と激しいように感じた。実際,震災後の福島県の有効求人倍率は,全国屈指の高い状況が続いているいう。たしかに,除染や廃炉,もろもろの復興事業で大勢の人たちが入っている中で,パートタイムの主力となる高校生や主婦は限られているのだから納得のいくことである。

ただ震災後,福島県内から県外に転校した児童,生徒は県全体で20人に1人程度,いわき市においても同程度以下というから,若者がみんな逃げてしまったので人手が足りないという状況ではないようである。

 

観光ポスターも多く目にした。市内のスパリゾートハワイアンズ(旧常磐ハワイアンセンター)も,2011年には入込が落ち込んだものの,翌年は震災前の状況に戻ったという。

 

結局,駅前を少し歩いた程度では,震災を偲ばせるものはほとんどなく,あえて表に出さないようにしているのではないかとさえ思った。気が付いたのは,復興支援バスの案内と住宅再建支援のポスターくらいだった。

しかし,市の人口の1割近くの避難者を受け入れているのだから,相当の影響はあるはずで,病院が混んで困るとか,賠償金に関連する歓楽街での軋轢など,直接の被害を受けた被災地とは異なる鬱屈とした現状があるらしい。

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