北海観光節旅行記秋の湯殿山・尾瀬

29. 富岡町・大熊町

 

不通となっている常磐線の竜田〜原ノ町間には,今年(2015年)1月31日から代行バスが運行されている。1日2往復のみで,途中の駅には停車しない。

走行区間の空間線量率に関する張り紙があった。1回の乗車による被ばく線量は1.2μSvだという。避難する基準になっている年間の被ばく線量率は20mSv。これを長期的には年間1mSvまで低減させるのがいちおう目標とされている。仮に1mSv被ばくするには,このバスに1000回近く乗車しなければならないわけで,まったく問題はなさそうだ。

竜田駅9:35発→原ノ町駅10:50着 JR常磐線代行バス 原ノ町駅行き

 

バスは立派な大型車両だった。乗客は6名と少なく,拍子抜けした。それもほとんどは地元の人に見えた。シルバーウィークだというのに旅行者はいないのだろうか。

運転席の後ろには車内の空間線量率の画面があった。

バスはどういうわけか跨線橋を渡り,いったん駅の東側に出た。このあたりには,廃炉関連企業の事務所や居住,宿泊施設を設備することになっており,開発を前に埋蔵文化財の発掘調査が行われていた。

楢葉町も海沿いでは津波の被害を受けており,123名の死者,行方不明者を出している。私の家も田畑を失った大正15年の十勝岳噴火の死者が123名(ほか行方不明者21名)で,90年たったいまでも地域にとって忘れられぬ記憶であることを思うと,事の重大さを改めて感じる。

バスは1.5車線の道をくぐり抜け,国道6号線に出た。改めて車掌から,帰還困難区域を通って原ノ町駅まで向かうこと,途中駅には停車しないこと,窓開けは厳禁とすることなど説明があった。車掌は快活な女性で,放送の最後には「それでは到着までごゆっくりとお過ごしください」と心温まる案内があってほっとした。

国道6号線の帰還困難区域を通る区間は,2014年9月15日から自由通行が可能となった。ただし,歩行者や自動二輪車の通行は引き続き規制されている。また,現在においても不要不急の通行は控えることとされている。

まもなく富岡町に入った。現在はまだ全町域に避難指示が出されている。原発の事故後,約2年間は警戒区域に指定され原則立ち入りが禁止されていたが,2013年3月25日以降,一部帰還困難区域を除いて立ち入り制限は緩和されている。役場機能は現在も郡山市内に置いている。

2016年内に商業施設や診療所が再開,2018年3月までにはJR常磐線も富岡駅まで復旧する見込みとなっており,楢葉町よりは少し遅れながらも,復興は進んでいくのだろう。

こうした年間積算線量が20mSv以下を基準とした避難指示解除の動きに対し,国は原発事故をなかったことにしようとしている,あるいは,年間20mSv以下なら被害があるとは認めないのか,といった意見も聞かれるところである。基準というのはだいたいそうだと思うが,20mSvという数字は絶対的なものではなく,対策の費用対効果などから現実的に決められた値だろう。したがって,いちおう誰もが納得する水準と思われる1mSvから,国が閾値とする20mSvの間というのは,立場によって考え方が変わりうるあいまいな領域であり,なにをどうするのが正解ということは恐らくない。できることなら,正解はなくとも,それぞれの人たちが納得できる道を選択できればよいのだろうが,予算や資源は限られており,かつ,問題が人災に起因するだけに,それも難しいかもしれない。我々は大変難しい問題に直面しているのだと改めて思った。

 

福島第二原子力発電所の入り口を過ぎる。この先約2kmに発電所の建屋があるはずだが,国道からはまったく見えない巧妙な配置になっていた。東日本大震災では津波による被害を受け,電源を喪失しかけたが,ぎりぎりのところで深刻な事故は免れたという。

「放射性物質による汚染廃棄物対策地域」内における,津波がれき,家屋解体廃棄物の焼却による減容化を担っている施設。排ガスからセシウムを除去する機能を持っているという。今年3月に稼働を開始し,今後約2年間で処理を行う予定となっている。

富岡町の市街地を通過する。このあたりは居住制限地域に指定されている。居住制限地域は現在もなお,年間積算線量が20mSv超えるおそれがあるものの,5年以内には20mSvを下回りそうな地域で,住民の一時帰宅や,道路などの復旧のための立入りは可能となっている。

ガソリンスタンドは営業しているところがあった。ガソリンスタンドは,復旧・復興に不可欠な事業として,7時から19時までの時間帯に限り「居住制限区域における例外的な事業再開」が認められている。

 

しかし,一般の店は全部閉まったままである。

福島第二原子力発電所エネルギー館も休館中。東京電力では将来ここを廃炉資料館とする構想もあるという。

防犯は深刻な問題である。この地域は大地震の翌日に避難指示が出たが,立ち入りに関する規制はなく,空き巣の被害が頻発したという。罰則を伴う立ち入り禁止措置である警戒区域が適用されたのは翌月4月22日のことである。現在はまた立ち入り規制が解かれており,元住民は不安の中で過ごしていることだろう。

 

富岡の市街を過ぎると,まもなく帰還困難区域に入った。

帰還困難区域への一般立ち入りは原則認められていないが,この国道6号と常磐自動車道など,ごく一部の幹線道路については,「特別通過交通」として通行証不要で通ることができる。ただし,徒歩やバイクでの立ち入りは認められていないため,境界では警察官が立ち番をしていた。

徒歩で入れないといっても,警察官は外で立っているのだから大変である。

海のように広がる除染廃棄物。

廃炉や除染廃棄物の処理といった,まったく生産性のない仕事をこれからだれが担っていくのだろうか。電力会社や,大学の原子力関連学科の志望者も減っていると聞く。

現在,こうした仕事に従事している人には,本当に感謝をするしかないのであるが,このままでは破綻するのは間違いない。残された道は,人間の代わりに作業を担ってくれるロボットを開発するしかないだろう。

これはかなり急ぐ問題で,国もかなりの力を入れていると思うが,間に合わなければ強制労働のような形を取るか,やはり破綻するしかないだろう。ロボット開発に役立つようなことを勉強してこなかった,自分の先見の明のなさを恥じる。

空間線量率は3.194μSv/hとさすがに高くなってきた。単純に8,760h/年を掛けると,28mSv/年となり,たしかに年間20mSvを超える。

帰還困難区域内の信号は,黄色の点滅表示となっていた。

福島第一原子力発電所が所在する大熊町に入った。

  

道路の両脇には仮設のガードレールが並べられたうえ,建物の入り口や脇道はすべて可動式の鉄柵で封鎖されていおり,立入り者のある部分には警備員が張り付いていた。

福島第一原子力発電所の入り口。

この先約4kmに事故を起こした福島第一原発があるはず。

大きな送電鉄塔と,何か作業をしているらしい起重機が頭をのぞかせている以外は,森に阻まれて建屋は見えなかった。

福島第一原発が事故を起こして,日本が何か変わったかというと,何も変わっていないように思う。むしろ,原発がなくても何とかなるではないという変な安心感を生み,ますます化石燃料の依存度を高める方向に進んでいる。

結局のところ,あれほどの事故を起こしても,人間というのは,明日のわが身の問題として直面するまでは気づこうとしないし,何も変わろうとしない,ということが,この震災後の5年間でわかったことではないだろうか。人間が自分たちの知恵でこの先も生き延びることは恐らく無理だろう。生き延びる道があるとすれば,判断をコンピュータに委ねることである。それはたぶん可能だと信じる。

といって,我々はなすすべがないのかといいえばそんなことはなく,コンピュータ(と言って私たちが想像するようなものではないと思うが)や社会のしくみを作っていくのは私たちであるし,そういう時代が来るまで40,50年はかかるだろうから,それまでをどう人として有意義に過ごすのかも問題である。やることはたくさんある。

以前私は,地球が破綻をきたしつつある中で,昔の生活に戻るのか,それとも科学技術よる解決を目指すのかという視点で物事を考えていたが,むしろ問題は,コンピュータなのか何なのかわからないが人間を超えた存在とどう関係を作っていくかだ,というのが,原発の事故から5年を経て思ったことである。

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