富良野線

鹿討 しかうち 無人駅
中富良野町字富良野基線8号
昭和33年3月25日開業
176m 14人
単線
旭川より49.7キロ
中富良野より2.4キロ
未踏

●中富良野→鹿討の車窓

農業倉庫群を通り過ぎると,再び田園風景となる。中富良野駅周辺が小高くなっているので印象は薄いが,線路はずっとまっすぐである。線路から約100mずつ離れて両側に道路が沿っている。左が国道237号,右が基線である。私は小さい頃,そばを汽車が走っているので「汽線」というのかと思ったが,そうではなくて,殖民区画の基線である。富良野盆地は入植と鉄道敷設と道路開削がほぼ同じ時期に行われたので,非常に整然とした景観となっている。
立派な道路が200mの間隔を置いて並行しているのは奇異に見えるかもしれないが,ラベンダーの時期には,ファーム富田に向かう車で両方の道路が渋滞する。

●鹿討駅

尖塔つきの新しい待合室。利用者は少ない。富良野−上富良野間には路線バスも走っているが,バスの利用者も少ない。完全な車社会である。
鹿討の名前は札幌農学校の土地の払い下げを受けて農場を開いた鹿討豊太郎の名字に由来。鹿討豊太郎と結婚した佐藤輔子は島崎藤村の恋人として知られるが,明治28年に病死している。また佐藤輔子の兄は札幌農学校一期生で後の北大総長の佐藤昌介であり,昌介の紹介で輔子と鹿討は知り合った。
佐藤昌介と鹿内豊太郎は学生時代に空知川上流の探検に来ており,富良野盆地の入口にある清水山に登り,清水山の麓に基号線を定めたのである。(この一文は,私のうろ覚えです。詳しい方ご教示ください)

●見どころ

特になし

中富良野 北海道駅前観光案内所 学田