(廃止)陸別 | りくべつ | 有人駅 | |
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足寄郡陸別町字陸別原野 | |||
明治43年9月22日開業 | |||
標高208m | 363人 | ||
2線(対向式)? | |||
池田より77.4キロ 薫別より6.7キロ |
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窓口820-1645土日祝休 | |||
駅前1分セイコーマート | |||
2002.3.18乗車 |
牧場が点在し,周りの山には弱々しい広葉樹が茂っている。太い木を切るだけ切って手入れをしなかったため,山が荒れてしまったのだろう。陸別町内にもかつては森林鉄道が敷設され,最盛期の昭和26年には総延長82kmにも及んだという。左手の台地状の土地は斗満(苫務)という地区で,ここから奥10数kmに渡って一大酪農地帯になっている。
関所のような狭い谷をくぐると,にわかに市街地が現れ陸別駅に到着する。
開駅当時は淕別と書いてリクンベツと読んだが,昭和24年に現在の駅名になった。1993年に「オーロラタウン93」という立派な駅舎に建て替えられ,関寛斎資料館,宿泊施設「オーロラハウス」を併設している。また2000年には道の駅にも指定された。
陸別は人口3300人と小さな町だが,カネラン酋長の伝説,関寛斎による開拓,マイナス30度を下回る酷寒,銀河の森など,この町にしかないものがたくさんあり,おもしろい町である。もともと釧路国に属し,支庁制が採用されてからも釧路支庁に属した。昭和23年ようやく十勝支庁に編入されたが,それでも帯広から100km離れている。行政の中心から遠いことが独特の文化が育まれてきた1つの要因ではないかと思う。
陸別はふるさと銀河線が唯一の公共交通機関のため,銀河線存続への取り組みが沿線7市町のうちで最も熱心だといわれる。銀河線の旅でもできれば陸別で1泊したいところだ。
2002年3月17日,北見から銀河線各駅停車の旅をしていた私は,陸別からいったん北見に引き返し,夜行の特急オホーツク10号に乗って岩見沢→追分→池田と回って,翌日池田から再び陸別に向かって銀河線の各駅に乗降する予定でいた。ところが,陸別駅に降りる直前に宿泊施設があることを思い出し,明日の予定も立たぬまま急きょ泊まることにした。いきなりフロントで「今晩泊めてもらえますか」と申し出たが,快く泊めてもらえた。シングルルームを中心に18室あり,設備的には都会のビジネスホテル並。シングルルーム素泊まり5000円。 | |
ふるさと銀河線友の会の星型プレート。 | 最初に銀河線に乗ったのは1996年8月。そのときは転轍機が現役だった。 |
▽関寛斎資料館
駅舎内。関寛斎は陸別開拓の先駆者。明治35年に来道,その時72歳であった。医師であり,開拓者の医療に献身しながらも,自ら鍬をとった。
930-1630 月・祝翌休 200円
▽道の駅オーロラタウン93りくべつ
ふるさと銀河線陸別駅と同じ施設。観光物産館あり。また駅前に記念写真用の大きな寒暖計がある。
800-1800(日祝は900-1700)
駅裏,国道より1つ上流側の橋を渡ったところ。駅から徒歩15分。チャシとはアイヌの砦で,ここは惣乙名カネランの砦ともよばれている。内陸部のチャシ跡では最大級で保存状態も良い。頂上から陸別市街一望。
駅から徒歩20分? 駅前から国道を足寄方面へ1km,右折。子供たちが虫取りの体験をできる。人気のある私設キャンプ場。バンガローあり,管理人巡回あり。かぶと虫,くわがたの販売も行っており地方発送も可。受付は林豆腐店で。
5上-9末開設 1張500円
▲ | 薫別 | −北海道駅前観光案内所− | 分線 | ▼ |