留萌本線
北一已
- 住所:深川市一已町字一已
- 開業日:1955(昭和30)年7月20日開業
- 標高:51m
- 配線:単線
- 路程:深川より3.8キロ
- 窓口:無人駅
- 乗降客数:2人(2014-2018年平均),24人(1983年)
- 最終乗降日:2002.3.24下車
●深川→北一已の車窓
深川から札幌のほうに向かって出発し,まもなく90度向きを変えて北北西にまっすぐ進む。函館本線の特急から乗り換えると,留萌本線は田園の中をガタンゴトンとのんびり走り,いかにもローカル線という感じがする。
一帯は石狩平野の北端に位置し,道内有数の穀倉地帯をなしている。列車が速度を緩めたころ,線路を直角に横切るのが北一已兵村の一番通で,道路沿いに農家が軒を連ねている。北海道で一般的な殖民区画の場合1軒の間口は約180メートル(100間)だが,屯田兵村は細長い短冊状の地割りが特徴でここでは間口約55m(30間)で入植している。もっとも,現在農家は半分も残っていないが,屋敷林を持つ農家も多く,旧屯田兵村の雰囲気を色濃く残している。
●北一已駅
1955(昭和30)年開業の元交換駅で,駅舎は開業当初からの建物を使用している。待合室の内部もまるで時間が止まっているようで,30年以上前のものと思われる鉄道地図や,広告には自動化以前の電話番号も見える。まわりは農家が数軒見えるだけで見渡す限り田んぼが広がり,かえるの鳴き声のみが聞こえる。くもの巣の張り具合から見ると,待合室の利用者はほとんどいない。函館本線から1駅離れただけで,こんなのどかな駅があるとは素敵なことだ。
駅名の読み方が1997年4月1日に「北一己(きたいちゃん)」から「北一已(きたいちやん)」に改められた。当初の「己」は誤字で,もともと「已(や)む」と読む已然形の已が地名に使われている。語源は根室標津にある伊茶仁(いちゃに)と同じく鮭の産卵場所を意味し,雨竜から神居古潭の石狩川流域一帯を指すアイヌ語地名だという。
1895(明治28)年,屯田兵村の北一已兵村と南屯田兵村が置かれ,当駅のある北一已兵村は200戸の平民屯田兵が入植した。かつての一已村(1963(昭和38)年深川市と合併)の役場は深川駅の裏手にあったが,村の中心部は北一已駅の東北東約1.5km,現在あけぼの町と言っているあたりにあった。
●見どころ
□桜山公園
駅の北2km。かつて桜山レジャーランド,桜山遊園地と言っていたが,施設の老朽化のため2000年10月15日で閉園。遊具は撤去され,現在は静かな公園になっている。SLホテルが営業していた時期もあり,現在は客車が撤去されて,蒸気機関車のD51とC58が保存されている。