石勝線

東占冠(信) ひがししむかっぷ 信号場
勇払郡占冠村字占冠
昭和56年10月1日開業
標高360m
2線
南千歳より81.3キロ
占冠より4.0キロ

●占冠→東占冠(信)の車窓

占冠を出発するとシェルターをくぐり,まもなく国道237号と立体交差する。踏みきりがないというのも石勝線の新線区間の特徴である。ここからまた道道136号夕張新得線と並行してトマムへの谷へと入る。鵡川は占冠で双珠別川,パンケシュル川を分岐し,かなりの急流になっている。石勝線はこれから15回も鵡川(トマム川)を渡るので,川の表情の変化を追うのも面白い。東占冠信号場はトマムの谷に入ってわずか3kmのところにあるが,既に人の気配はない。

●東占冠信号場

道道からトマム川を渡ったところにあり,さわやかな雰囲気である。ここは当初から信号場として計画されており,周辺に人家はない。

●占冠−上落合のルートについて

占冠は古くから陸の孤島として知られた山村である。鉄道の敷設は明治以来の悲願であって,
"汽車汽車と思い暮して五十年"
とはある村民が辞世に残した句である。
占冠への鉄道計画は2系統あり,1つは石勝線ルートでもう1つが富内線を日高町を経由して延伸する日勝線ルートである。占冠にしてみれば,どちらでも良いから早く鉄道を通してほしいという願いたったろうが,いずれのルートも占冠からは金山峠を越えて根室本線の金山駅に接続するものだった。意外なことに現在の占冠からトマムを経由するルートは検討されていない。
これは当時の道路事情が背景にあったようだ。占冠−トマム間は鬼峠に劣らぬ交通の難所で,交通は断絶されていた。トマムの人が占冠本村に出るのには,いったん落合に出て,根室本線の汽車に乗って金山に至り,そこから徒歩で金山峠を越えていた。このルートで夏は2日,冬は3日要したという。占冠−トマム間に道路が開削されたのが昭和9年で,冬季も通行可能になったのは昭和34年のこと。トマムリゾートの開発が始まってもまだ,ガタガタの砂利道だった。
したがって,旧来の概念からするとトマム経由のルート案はありえず,いわば発想の転換が必要とされていた。結局,占冠からトマム経由で上落合に結ぶルートを提案したのは国鉄だった。根室本線の新狩勝トンネルはまだ石勝線の計画が固まる前の昭和37年に着工し,トンネル内に設けた上落合信号場で石勝線と合流するという他に例のない方法がとられた。また国鉄は石勝線開業時にも,まだトマムリゾート構想が本格化する前に将来を見込んで石勝高原駅(現トマム駅)を設置している。時に,鉄道路線は政治力によって決まると言われるが,実際路線を策定するのは土木技師であり,政治家も「技術」という言葉を前にすると無力であった。このルートを選択したことは国鉄の英断であったように思われる。

●見どころ

下車できない

占冠 北海道駅前観光案内所 (信)滝ノ沢