昭和・北海道地図資料館

昭文社のレジャーガイド北海道

昭和63年 昭文社

このころ,私は地図に穴があくほど学校から帰ると毎日眺めていた。既に塔文社の北海道道路地図帖やマップル全日本道路地図を持っていたがそれでは飽き足らず,公民館の図書室で道路地図や観光ガイドを何度も借りて見ていた。図書室のお姉さんには「旅行に行くの?」と聞かれたが,別に旅行に行くために借りているのではなかった。

そんなある日,父が「お前くらい地図を見るやつにはを買う値がある」と言われて買ってもらったのがこの地図である。当時の小遣いは月800円。漫画を2冊買うのが精一杯だったから,こういうことでもなければ新しい地図を手に入れることができなかったのだ。

何年かに一度しかないチャンスである。かといってあまり高いのは気が引ける。迷った末,結局,観光ガイドと地図が両方ついていながら1390円と低価格なこの地図に決めた。観光ガイドと地図が合体した本の場合,普通どちらかがおろそかになるものだが,本書はどちらもしっかりした内容を持っている。


前半は98ページにわたる本格的観光ガイドとなっている。

 
テレビではなく映画のような絵,といったらわかるであろうか,旅情を感じさせる写真である。ページをめくるだけで旅行に行った気分にさせてくれる。今になって見ると,モデルの服や髪型が少々古めかしく感じる。


碁石浜が掲載されたガイドブックはあとにも先にもこれしか知らない。


私の地元上富良野町。この年の秋に上富良野バイパスが開通するが,地図のように一部のみ供用していた時期があった。通る車もほとんどなく格好の散歩コースで,学校から帰ると毎日のように自転車で走っていた。悲しいとき一人になりたくて,涙を散らしながら坂を駆け下りたことも何度かある。
地図に見える住吉ラベンダー園は現存しない。住吉ラベンダー園は昭和54年,0.8haに約7千株が植えられた草創期のラベンダー園で,昭和55年の第3回北海ラベンダーホップ祭り,同56年の第4回北海ラベンダーホップ祭りの会場となった。


後半は1/250000の道路地図。マップル全日本道路地図と同じ系統の図版である。


海峡線1/250000
この年3月13日にJR海峡線が開通した。


十勝川河口1/250000
国道最後の渡船・旅来渡船は平成4年まで運行を続けた。


湧別付近1/250000
国鉄時代には正式な駅ではないが列車が停まる「仮乗降場」というものがあった。これは地方の鉄道管理局が独自の判断で設置していた停車場で,北海道,特に旭川鉄道管理局管内に多くみられた。これらは一般の道路地図や全国版の時刻表に掲載されることはなく,道内版の時刻表によってのみその存在を知られていた。ところが昭和62年4月1日,国鉄からJRに移行したのに伴い,これらの仮乗降場は一斉に「駅」に格上げされることになった。
本地図では名寄本線,天北線,標津線がまだ残っているが,これらは翌平成元年4月で廃止される。したがって,これらの線にあった旧仮乗降場が地図に掲載され得た期間は約2年間しかないことになる。
上の地図に見える線路は名寄本線で,一本松駅,弘道駅,北湧駅,四号線駅が旧仮乗降場である。


択捉島紗那村1/600000
最後のページには北方領土のかなり詳細な地図がついている。恐らく戦前の地図を現代風に改めただけであろうが,何のためにまったく実用性のない北方領土の地図をつけたのか不思議である。


 

この地図を購入したあと,8月2日には十勝海洋博覧会に,8月14日〜16日には納沙布岬,尾岱沼,阿寒湖方面に家族で旅行した。それが結局最後の家族旅行になった。

この年,11月30日,末の妹が生まれた。

12月16日,十勝岳が噴火。大正末年の大噴火で一切を失った悪夢がよみがえる。父は消防に行ったきり,母は生まれたばかりの妹を守るので精一杯。年末年始にかけて小噴火と火山性地震が続き眠れない日が続いた。

翌昭和64年1月5日,病をおして家事についていた祖母がついに倒れて入院した。

1月7日昭和天皇崩御。昭和の御世の終わりとともに,私もしばらく旅行から遠ざかることになったのである。

 

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