1. ミーティング開催まで
●2008年正月,年賀状にて
昨年のフォーラムでお世話になった方々とは,すっかりご無沙汰になってしまったが,何人かの方とは年賀状で近況を知ることができた。
中でも,占冠村観光協会のKさんの年賀状は印象的だった。
"今,占冠村は少しずつ変わろうとしています。小さな力が集まって変えようとしています。「焦り」をひしひしと感じ,もがいています"
そうなのだ。時間はないのである。いま何かをやることが,将来にとって本当によいことなのかどうかはわからない。しかし,高速道路が全通するまでの4年の間,何を考え何をやったかによって,その後の村の運命が大きく変わることは確かだと思う。
●1月14日,新聞記者K氏へメール
年賀状に触発されて,私もできるところから行動を開始してみることにした。そこでまずは,昨今の占冠周辺の事情に精通しているであろう道新富良野支局のK氏のもとを訪ねてみることにした。K氏には昨年電話取材を受けた際,今度ぜひ支局にと言われていたので,その言葉に甘えてメールで訪問を打診してみたのである。
この日は,昨年のフォーラムの参加者でニニウ生まれのガンビさんにも近況をメールで送った。相変わらず,ニニウへの思い入れは強く,すぐに返信が来る熱いメールには勇気づけられるものがあった。
●1月19日,富良野支局を訪ねる
K氏も多忙を極めており,この日も会えるという保証はなかったが,ともかく1日も早くという思いで,とりあえず富良野に向かった。幸いに,18時から終列車が出る20時過ぎまでお話しをさせていただくことができた。
電話で感じた印象通り,地域のことを真剣に考えている方で,すっかり意気投合し,有意義な訪問となった。
この日K氏と話している中で,鬼峠はやっぱり大事にしていかなければならないのではないかということになった。あのような生活道路としての山道は本州に行けばあるかもしれないが,北海道では占冠にしかないのである。K氏によると,村でも将来に向けていろいろ取り組んでいるが,鬼峠を生かすということにはなっていないらしい。K氏は私にぜひ鬼峠の価値をもっとアピールしていってもらいたいのだと言った。
●1月20日,山本さんへメール
K氏にけしかけられて,翌日の朝すぐに,占冠の山本さんへメールを送った。
さて,昨日Kさんからも言われましが,やはり生活道路としての鬼峠というものが,いま見直される時期に来ているのではないかと感じています。 ・歴史と自然の両方をテーマにもつ道 ・最後まで自動車が通らなかった本物の道 ・スノーシューハイキングのコースとしての魅力 ・越えた先にある高速道路の工事現場との対比 ・夏は熊が出るので冬しか歩けないという特殊性 ・鬼峠という名前自体のインパクト こういう点で,鬼峠は少なくとも北海道内では占冠にしかない財産だと思います。 どう活用していくかということについては課題がありますが,いずれにしても,ほとんど伝説化している稲妻道の鬼峠のルートを発掘することは,一度やっておく必要があるのではないかと思います。 |
鬼峠を語る上で,まずやっておかなければならないのは初代の鬼峠越えである。昨年越えたのは鬼峠といっても馬車が通れるように改良された道で,鬼峠と名が付いたときの本来の峠とは異なっている。初代の道が記載された地図を昨年入手し,冬なら越えられるのではないかという思いもあった。
●同日,山本さんからの返信
山本さんからはすぐさま返信があった。
なんと,前日にNHKから北海道中ひざくりげの取材申込みがあったところだというのだ。このタイミングはやはり縁だろうということで,取材の対象になるかどうかはわからないが,取材予定の2月10日前後に「鬼峠ミーティング」をぶつけることにしたのである。
●3週間の準備期間
昨年は開催日の2か月前に概要が決定していたのに比べると,非常に慌ただしい中での準備となった。その後の主な流れは次のとおりである。
1月23日 | 双民館打診O.K。 |
1月25日 | 2/10-11の開催で日程決定。 |
1月27日 | プログラム決定("情報交換会"+"8mm上映"+"鬼峠鍋") |
1月30日 | 村教委の「自主創造プログラム」に採択される(2/10のみ), 各方面へメールで開催周知 |
2月2日 | NHKの取材が決定 |
2月 日 | 新聞折り込みチラシで村民へ周知 |
2月5日 | 道新に告知記事掲載, 役場にて8mmフィルム試写 |
当初は初日に峠を越えて,夜に一献との話だったが,1月25日の段階で昨年同様初日に交流会,翌日に峠越えをすることに変更された。また25日の段階では湯の沢温泉での開催の可能性も残されていたが,厨房が自由に使えないということで,結局双民館に落ち着いた。
初代鬼峠の調査という趣旨から,今年は少人数で開催する予定だったが,やはり鬼峠やニニウの力はすごいもので,約30名の参加申し込みがあった。私のホームページを通じても,昨年参加のHさん,千春の家さん,hamaさん,典宏さん,ごんすけさんに加え,新たにねこさん,井手口さん,こうすけさんという豪華メンバーが加わった。特に2月6日に至って愛知県の井手口さんが急遽参加を決められたのは関係者に驚きをもたらした。雪まつりの連休で開催が直前に決まったので,道外からの参加は難しかったと思うが,昨年の参加者一人一人からメッセージをいただけたのは嬉しかった。
NHKの取材については,番組で扱う内容としてはテーマが重すぎるという理由でいったん話が消えたが,2月2日に意向が翻り,取材が決定した。これも鬼峠の力であろう。誰も越えたことがない初代鬼峠を取材陣4名で越えようというのだから,大変な意気込みである。
1月30日に山本さんから発信された開催案内文と,教育委員会で作成したチラシは次のとおりである。
寒い日が続いていますが、陽射しに少し春を感じられる季節になりました。うちの鶏も卵を産み始めましたよ。お元気でいらしゃいますか? さて、2月10日(日)に今年も鬼峠を考える催しを実施いたします。 昨年、予想以上にヒートアップして大成功に終わった「鬼峠フォーラム」を今年は少しスローダウンして、昨年の「楽しかった」を持ち寄りゆったりと交流しましょう。 昨年のフォーラム詳細こちら(すごい報告です) https://www.onitoge.org/ninew/forum/index.htm 占冠の歴史や自然から楽しく学び、ゆるやかなコミニティを結んでいくことは、地域に種をまくことです。まいた種からはなかなか芽が出ないこともありますが、たくさん播けばどれかは育つものです。年代や職種、地域、ときには時代をも超えて、鬼峠について語り、交流を深めましょう。 お時間がゆるせば、是非ともご参加ください! ___ ■鬼峠ミーティング(交流会) 2008年2月10日(日)午後3時〜午後9時 ニニウ郷土史研究家 立松宏一さんを囲んで、鬼峠を肴に鬼峠鍋や勝美さんの鹿肉に舌鼓をうちましょう。(勝美さんまた相談にのってください) また、昨年フォーラムにも参加いただいた議員の長谷川耿聰さんが役場勤務時代(昭和30年代)に記録撮影した8ミリフイルムがありますので、長谷川さんに解説をお願いして上映します。(長谷川さんよろしくお願いします) 幻の名作ドラマ「鬼峠」(昭和59年放映)もまた鑑賞しましょうか〜 ●場 所:双民館 ●参加対象:一般(村内外に広く周知) ●参加費1000円 ひとり一品の持ち込みにご協力を!アルコールもね! ●双民館宿泊の場合は1000円程度 ●宿泊される方は事前申込みが必要です。 申込先:(略) ___ ■鬼峠アタック 2008年2月11日(祝)午前8時〜午後1時 一般募集今回はなし(同行希望者は別途ご連絡ください) 細谷+山本+立松+数名(10名以内)のスノーシュー経験者で旧鬼峠ルートの踏査を目的とします。 ※大野さん、もんまさん、いかがですか〜 ※来年はこのルートを皆で越えたいと思っています。 ___ 「鬼峠とは…」 昭和56年まで鉄道もなく陸の孤島といわれた占冠。ニニウはその占冠からさらに鬼峠を越えて3時間の集落だった。現在の鵡川に沿った占冠〜ニニウ間の道が出来たのは昭和35年のこと。入植のはじまった明治41年からこの道が出来る昭和35年まで実に50年以上、最盛期には30戸もの人々が住んだニニウへの唯一の道がこの「鬼峠」だった。この道を通り、夢を求め入植した家族、嫁いできた女、逃げていった男、すべてのひと、すべての物資、そしてひとびとの夢や想いも、すべてこのまぼろしの峠を越えていったのだ…。 参考サイト 「ニニウに急げ」 https://www.onitoge.org/ 「鬼峠を越えてニニウまで」 http://www.kaneda-berry.com/onitouge.html みなさまのご協力、ご参加をお願いいたします。 |
●2月5日,8mmフィルム試写
この日,占冠村役場の視聴覚室で当日上映される予定の8mmフィルムの試写を行った。折り込みチラシには「8ミリについては,フィルム・機材の状況により,上映できない場合があります」と正直に書いてあったが,この日の新聞には「8ミリフィルムを解説付きで上映」と出てしまったので,もう後には引けない状況である。そもそも今の時代,村に映写機が残っているのだろうかと心配していたが,山本さんが個人で持っていたとのことで,さすがである。
みな映写機を扱うのは久々ということで,1時間ほど悪戦苦闘し,ようやく映写にこぎ着けた。いったん要領がわかってしまえば単純な機構ながらも正確にフィルムが送られていき,実に良くできたものだと思った。
膨大なフィルムの中から,まずは昭和41年8月14日撮影の「ニニウ電気導入」という巻を映写した。想像以上に鮮明なカラーの絵で,偉そうな人たちが黒塗りの車で農家を回る様子や,ニニウ小学校講堂での盛大な祝賀パーティーの様子が映し出された。
鉄道の着工記念祝賀会,開基70周年パレード,役場の旅行,学校の運動会など興味の赴くままに上映していったが,どれもがその時代を知らない私などにとっては驚きの映像で,大変興味深いものだった。
撮影した村議の長谷川さんの説明を聞きながら17時までみっちり見たが,20本も見れなかったと思う。
●ニニウの主食再現へ
8mmフィルムを映写している傍らで,観光協会のKさんは昔ニニウに住んでいた方々に電話をかけて当時の食事のことをヒアリングしていた。交流会ではニニウの主食を再現してみたいのだという。当初は,お=?,に=にく,と=とうふ,う=うどん,げ=あげ,で鬼峠鍋でもという適当な話が,ニニウの主食の再現という高尚な話にまで発展していて,その意気込みには恐れ入った。
●2月7日,鬼峠メールにて
数日後に開催が迫ったこのころから,「鬼峠メール」と称して,関係者間で連絡のメールが飛び交うようになった。かなり錯綜した状況になってきたので,教育委員会のM主査に適時状況を整理していただけたのはありがたかった。後で知ったことだが,教育委員会ではメール1通ごとに教育長まで報告しているとのことでその几帳面さには恐れ入った。
この日の鬼峠メールでは,トマムリゾートでアクティビティを担当している細谷さんから鬼峠越えについての注意事項が周知された。道筋が不確かな初代鬼峠越えの危険性は厳冬期の山岳登山に匹敵するとのことで,各人が最低限用意するべき装備品のリストが送付された。このメールは参加者達を慄然とさせ,鬼峠越えのメンバーはある程度絞られることになった。
●配布資料の作成
ミーティングの前半の時間の使い方については,新聞やチラシに自分の名前も出てしまっていたので,どうなることかと思ったが,結局,参加者それぞれの鬼峠やニニウへの思いを一人ずつ聞いていくことになった。私もいろいろな人のニニウへの思いを聞いてみたいと思っていたので楽しみに思った。
ただ,昨年の参加者はともかく,初めて参加していきなり発言を求められてもとまどうかもしれない思ったので,これは私の独断で,話のきっかけとしてニニウの年表と地図を作製して配ることにした。
例によって,資料は前日になってからバタバタと作ることになり,何とか未明までにコンビニでコピーを終え,当日を迎えることとなった。