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3. 稲妻道

峠を発って約20分。いよいよ稲妻道とも呼ばれた鬼峠の真髄に差し掛かる。尾根はいくつにも分かれていて,進む尾根を間違えればまたここまで引き返すしかなく,慎重に進む道を選ばなければならない。

稲妻道というからには,現役当時は激しく屈曲して急勾配を下りて行ったはずだが,立っているのもままならないこの状況では,重力に引かれるままにまっすぐ降りていくしかない。

今朝から整然と進んできた隊列も,もうめちゃくちゃである。

笑って吹き飛ばすしかない,どうしようもなさ。ドラマ「鬼峠」(1984,STV制作)で,主人公が「鬼が出た,鬼が出た」と狂ったように叫ぶシーンがあるが,これはそういうどうしようもない消化し切れない思いを象徴的に表現したものだという。

鬼峠を生活道路として使っていた人たちにとっての,鬼の名に込められた思いを,我々もやはり自分たちの足で越えることによって,いくらか感じ取ることができるのではないかと思う。

そんな中,会田さんは一人ストックを使わず,すたすたと歩いて下りていた。

その会田さんも昨年は病気をされて,峠越えに参加するかどうかぎりぎりまで迷いがあったという。奥様も心配されて,弁当を作ってくれなかったというが,やはり行きたいという決意に奥様も慌てておにぎりを1個作ってくれて,ようやく集合時間に間に合ったと話されていた。

そして,突然視界が開け,振り返った先に見えるのはニニウ。

旧ニニウ集落を一望にする,初代鬼峠最大の見せ場である。2008年に先遣隊7名でこの場所に来てから4年越しにして,参加者全員で到達することができた。

空を飛んでいるような大パノラマの中をさらに下りていく。

 

今日は条件も良かった。歩くより滑ったほうが楽だと悟った参加者たちは,豪快に山肌を滑り降りていた。

 

しかし,少々調子に乗って下り過ぎたかもしれない。谷の底に迷い込んでしまった。

初代鬼峠の本質は尾根道だということである。尾根峠がなまって鬼峠になったのではないかという俗説が生まれるほど,徹底して尾根をたどっている。一説に,アイヌの道は尾根を行くとも言われるが,歩くしかなかった時代には勾配よりもむしろ見通しや安全の面で稜線沿いの道が好まれたのだろう。

いま滑り降りて来た道を引き返すのは厳しい。かと言って,この谷をそのまま進めば,もしかするとペンケニニウの川筋に出られるかもしれないが,それでは鬼峠の本質を外れることになる。

議論すること10分。ここなら行けそうだという斜面を選んで,尾根の上に復帰した。

毎回どこかで1度くらいは,生活道路としてはあり得ない場所を歩くことになってしまう。細谷さんはのちにこの時のことを振り返って「人間はその時その時で違う」と言い,右の沢に落ちた理由を自問されていた。

2代目の鬼峠もまた,往時の道を完全にはトレースできていない。「昔の人は,『ここしかない』というところを行っている。今度鬼峠を越えるのなら『馬を通すんだったらこうだよね』とかみんなで想像しながら,もっとゆっくりと,当時の人たちと気持ちを通わせながら,自分たちの感覚でルートを作っていって,それを地図上で昔の道と合わせてみたい」と細谷さんはおっしゃっていた。

 

想定外のルートも,それはそれで面白い。思いがけなく偉大な自然の姿に出会うことがある。

白樺林に入った。ここは5年前にも歩いたことをはっきり覚えている。

そして,最後のトドマツ林の急坂。

坂を下ったところでバスが待っていてくれた。下りた場所も,見事ぴったりだった。

 

なお,今回歩いた道のGPSによる記録を札幌のHさんから送っていただいた。歩いているときはGPSではなく自分の感覚に頼るべきだと思うし,まして初代鬼峠の場合は現在の地図上でのルートが不詳のためGPSは無用であるが,ほぼ想定していたとおりのルートをたどれていたことがわかった。


4. ニニウ神社