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2. 成果ゼロ

今年は造材のため峠の頂上付近まで除雪が入っており,スローフードしむかっぷの西村さんが峠まで自動車で送ってくださった。11時ちょうど,峠からニニウに向けて探索を再開する。

国土地理院発行2万5千分の1地形図「ニニウ」
昭和49年測量,平成20年更新
国土地理院発行5万分の1地形図「日高」
昭和33年測量,昭和42年資料修正

過去2度の2代目鬼峠越えでは,北電の送電線が鈍角に曲がる個所の付近(A地点)から,林班界と思われる林道に入り,多少の屈曲は描きながらも,深い谷には踏み込むことなく,そのまま山土場の跡と思われるF地点に達していた。これまでに少なくとも4名の,往時鬼峠を生活道路として使っていた方々とも共に歩いているが,歩いたルートに大きな疑いはないようだった。ただ,私たちが歩いた道は,随所でショートカットをしており,馬車を通すために開削された2代目鬼峠は,もっと大きく屈曲していたという話も聞いた。

しかしながら旧版地形図を見ると,本来のルートは私たちが歩いたルートとまったく異なっているように見える。F地点から峠直下まで遡るかなり深い谷を,実に5回も横断しているのである。現在の自動車であれば少なくとも40馬力はあるところだが,わずか1馬力の荷馬車を登らせるために苦心をした結果だろう。

A地点。過去2回は,ここでふるさと林道鬼峠線と別れて,峠の下りに入っている。しかし,旧版地形図によれば,本来はあと250mほど西寄りから入っているはずである。

B地点。いかにも往時の峠の頂上らしい雰囲気が漂っているように,私には思われた。

 

慎重に地図を突合せして進路を定める。今日は新旧地形図のほか,国有林の林班図も用意し,植生も参考にしたいと思っている。

細谷隊長としては,やや納得がいかない部分もあったようだが,立ち止まって道定めをすること15分,いよいよ峠の下りの探索である。

C地点。峠の緩やかな鞍部を越えると,すうっと谷に消えていく一本道があった。これが旧版地形図に記載されているルートに違いないと(このときは)思った。

地形図を再掲する。

国土地理院発行2万5千分の1地形図「ニニウ」
昭和49年測量,平成20年更新
国土地理院発行5万分の1地形図「日高」
昭和33年測量,昭和42年資料修正

地形図によれば,峠を500mほど下ったところで道は東に折り返し,1回目の谷越えに差し掛かっているはずである。

しかし,それらしいところで折り返してみたものの,行く手を阻まれるということを何度か繰り返した。

下り始めて15分あまり,下り過ぎたかと思ったが,この切り返しの線形などはまさにそれらしい道跡に見える。

それでもやはり道は途絶えた。

D地点。峠を出発して1km足らずのところで50分あまりさまよい,ついに決意して,道なき谷を横断することにする。

 

E地点。強引に沢を渡り,雪の壁をよじ登る。

大きな道に出た。本来の鬼峠ルートの一部ではあるかもしれない。

さらに道は折り返して谷を渡っているはずだが,結局そのままF地点に降りてしまった。

13時43分,峠から約2時間でペンケニニウの林道に出た。

これまで未解明であった峠の入り口,峠の下り部分ともに,結局今日解明できたことはほとんどなかった。成果はゼロだと(このときは)思った。正直ここまで難儀するとは思わなかった。

さらに30分ほど林道を下り,石勝線の高架橋下で,教育委員会の竹内さんが迎えてくださった。


3. 過去7年を振り返る「我々はなぜ鬼峠を越えるのか」