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赤岩ダム

第1展示室の後半では人間が自然のためになすべきこと,についてみている。
ここでは,景勝地赤岩に建設されようとしていたダムが村民の猛烈な反対で建設中止となった例を取り上げてみよう。

赤岩青巌峡

 赤岩は神居古潭や層雲峡とも並び称される天下一品の名勝地である。占冠中央とニニウを断絶する渓谷でもあるが,赤と青の巨岩絶壁,緑に澄む激流,四季折々に変化する樹林,真紅に映える近代橋・赤岩橋の絶景は他に類を見ない。特に紅葉の時期には全道各地より観光客が訪れるが,最近ではロッククライミングの道内随一の名所,ラフティングの名コースとして,年中賑わいを見せている。
 昭和50年に樹齢碑建立,翌51年村立自然公園に指定。ローソク岩などを巡る自然遊歩道も整備されている。

●赤岩ダム

 赤岩ダムは赤岩の一番淵付近に建設され,ニニウとトマムを残して占冠村の大部分が水没するという大規模なダム計画であった。ダム建設,即,廃村であるため,建設の話が持ち上がった当初より,全村民あげての反対運動が行われている。

○昭和27年3月7日 北海道建設新聞 勇払開発に機運,第一ダム赤岩,第二ダム新入,常時発電10,500kW

○昭和27年12月12日 北海道新聞 鵡川電源開発いよいよ明年度から,開発庁予算を請求,精密調査が行われる

○昭和28年 春以来北海道開発局調査課太田課長補佐らの来村により計画の概要が確認される

○昭和28年10月 議会においてダム建設計画実施阻止議決をなし,北海道開発局に中止要請書を提出

○昭和34年5月29日 北海タイムス 鵡川上流にダム建設,その規模高さ103m,長さ70m,本村の大半が水没,開発局地元の代替地も考慮

○昭和34年6月2日 北海タイムス 苫小牧工業地帯の建設,将来の電力需要と工業用水確保,貯水量3億5欄万トン,電力9万kW開発,占冠村は2分の1水没

 現実問題として赤岩ダムを意識させたのは昭和34年6月2日の新聞記事であった。記事は次のようなものである。

 苫小牧工業地帯の建設と合わせて将来の電力需要や工業用水を確保するため,雄大な総合開発計画が進められている。貯水量3億5千万トン。電力9万キロワットを開発しようとするものだがこの計画が実現すれば占冠村のほぼ半分が水没するだろうという。
 占冠の地形は険しい,金山方面に出るにも沙流川を下って苫小牧方面に出るにも500メートル以上の高地を越えねばならない。陸の孤島といってはおおげさだが,交通不便なところだ。鉄道もしかれていない。そうかといって占冠の人たちはよいところがあればいつでも移住したいと思っているわけではない。いやむしろ険しいところに住んで段々畑を耕していただけに愛着心が強いのではないか。開発のためとはいえ長年住み慣れた郷土を捨てるということは耐え難いことに違いない。住めば都という通りこのままで平和な生活を続けたかったろう。
 しかしよく考えて見るのに,われわれの先祖は未開の地へ移住を試みた勇敢な人たちであった。われわれはその子孫である。やろうと思えば再び大移住ができない訳はない。代替地を求めて村役場,小・中学校,郵便局,病院,社寺など主要施設を建設し,国の責任でパイロットファーム方式で農耕地を整備するなど第一段の地ならしをやっておく。当然である補償金をポケットに離散して廃村となるよりも新天地で村づくりをやるに如くはない。かつて満州の首都づくりに官庁街をまず建設し,たちどころに親京が出現した。何もない新しい土地に村づくりすればほとんど理想的な新郷土ができるのでないか。
 水没によって今の占冠は形を変える。これまでの例がそうであるように広大な人造湖が生まれることによってこの地方は観光地になるだろう。釣の名所,湖水に浮かべる舟あそび,十勝の糠平湖の趣を備えるに違いない。そして9万キロの電力と3億5千万トンの工業用水を生む原動力となる。この計画を推進する開発局は補償金で事足れりとせず,村当局も新しい村づくりに真正面から取り組むべきだ。

 この記事を読んで,今もし赤岩ダムが建設されていたらと考えると恐ろしい。記事の中で目標とされている糠平ダムはご承知のような惨状であるし,ダム建設の目的とされた苫小牧の開発も行き詰まっている。

○昭和34年6月5日 臨時村議会召集 報道重視し,内容検討をなし反対決議をする。決議の趣旨に基づき計画中止要請書提出

開発局の見解と要望
新聞報道は単なる構想を新聞独自の主観で発表したものだ。この報道は何ら具体性はない。伝えられるところ蛇紋岩地帯で技術的に困難である。可否は現地調査の結論が必要なので調査に応じられたい。
村の考え方
開発庁の要望に対しては村民を代表する議会で説明を受ける

○昭和34年7月24日 村側,条件付で事前調査を了解

この条件とは「現地調査と工事の実施は自ら一線を画するものであって,万一調査の結果伝えられるような犠牲を伴う場合は断固工事実施には反対する」というものである。

○昭和35年12月上旬 調査終了

調査は昭和34年と35年の2か年にわたり行われたが,その結果はダム建設へ一歩前進であった。「ここからさらに一年の調査に応ずることは事実上の廃村を裏付けることにもなりかねない」として当時の小滝村長は次年度以降の調査を断っている。さらに次のように述べている

 このダムは北海道総合開発計画の一環として将来の電力需要と苫小牧工業港用水の確保を主たる目的として計画されたものでありますが,その結果は北海道の開発促進を併せて住民への福利増進となって還元されなければならないのにもかかわらず,その反面に全国的にも例を見ない多大の犠牲を伴う事実を無視してあえてこの計画を推し進めようとすることは,果たして道民の幸福を念願とした愛情ある立案であるかどうかその真意の理解に苦しむものであります。

○昭和36年7月18〜20日 中央,占冠,双珠別で行政懇談会

 問題が重要なだけにほとんど全戸が出席して深夜まで議論が続けられたという。大正11年の大水害のとき,赤岩一番淵付近に流木がたまって中央一帯がダム状態になった経験もそれぞれ持っていたわけで,ダムができた場合は村がほとんど水没することは図面の上からも個々がはっきりと認識できた。そして現在に至っている父祖伝来の土地を湖底にすることは金銭の問題でなく許されることではないという結論になった。

○昭和36年12月1日 赤岩ダム建設問題に終止符

開発局との話し合いの結果ダム調査打ちきりが明らかとなった。理由はコスト高と調査を村が望まないことであった。

こうした一連の反対運動を振り返るとき,隣村の金山ダムの動きの影響が大きいことにも気づく。

ダム反対の理由は景勝地赤岩を保護するためでもなく,自然保護のためでもなく,自分たちの土地を守ることであったが,国が進めた開発計画に対し,600戸の一村の反対により,ダム建設が中止になったことは画期的なことである。

中央の政策に翻弄される山村

 次の文は昭和36年3月,赤岩ダム問題が取りざたされているさなかに出された論文「北海道僻地社会における共同体論の問題」(榎本守恵)より引用したものである。
「つまり北海道は…内国殖民地としての役割を担わされているのである。これはまた中央の必要如何によっては,道内事情や道民の問題とかかわりなしに開拓政策が変更されることを意味する。…またニニウを例にとってみても,われわれが調査した時期には林道開設が課題であり,また占冠の豊富な地下資源を目標に石勝線・日勝線が調査線といった段階であった。しかるに調査直後北海道電力の公表により占冠を水没させる鵡川上流ダム計画が決定事項であった。しかもこの決定は村長以下住民の知らぬ間に――。そればかりではない。金山ダム建設の結果,金山から離村せざるを得ない人々の移住先に占冠村予定されていたのである。鵡川ダムが実施されるとせっかくつくった一級林道はもちろん,日勝線・石勝線もまた宙に消える。住民の意思や幸福とは全く無関係に,総合開発は各部局の調整統一もなく行われるのである。」

●再び危機の到来か〜道東自動車道

いま,占冠には北海道横断自動車道(道東自動車道)が建設されようとしている。昨年住民説明会が開かれたところである。高速道路の建設は村にとって,プラスになるのか,マイナスになるのか。ニニウに関していえば,先人が築き上げた美しい農村景観,少なからず壊すものとなる。また,村が整備してきたニニウ自然の国も,自然が売り物だけに魅力が薄くなる。道央と道東を結ぶ使命は強く,路線計画上ニニウを通るのももっともなことだが,国の計画をそのまま受け入れてよいものだろうか。「せっかく」村が地道に整備してきた「ニニウ自然の国」がまたしても国の政策により台無しにされるのか。国はニニウの貴重さを知らない。赤岩ダムのときのように言うべきことは言って,守るべきものは守っていきたいところだ。

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