北海観光節小さな旅行記かみふらの文学散歩と健康散歩

かみふらの文学散歩と健康散歩

2008年9月26日・28日

文学散歩『泥流地帯』ゆかりの地を中心に その1

2008年9月26日

この日は,旭川市の三浦綾子記念文学館開館10周年記念事業として,小説『泥流地帯』ゆかりの地を巡るバスツアーが開催された。どこでこのイベントを知ったかについては,また別のところで(恐らくニニウのページで)書くことになると思うが,小説にも登場する清野ていさんのお話を聞けるということで,参加することにした。

小説『氷点』の舞台になった神楽見本林に,1998年開館した三浦綾子記念文学館。

 

文学散歩の参加者は約40名,案内人は三浦綾子記念文学館特別研究員の森下辰衛先生である。平日のため仕事を退職された方や主婦の方が多かったが,旭川近郊,札幌方面のほか,遠くは姫路,京都,千葉からの参加者もいた。みな熱心な三浦文学のファンのようであり,バスで隣に乗り合わせた男性は,若い頃から六条教会に通っており,氷点でデビューする前から三浦夫妻を知っていたという。

 

ここで小説『泥流地帯』の基礎知識をまとめておきたい。

『泥流地帯』は,144名の死者・行方不明者を出した,大正15年5月24日の十勝岳爆発を題材にした小説である。『泥流地帯』は昭和51年1月4日から同年9月12日まで,『続泥流地帯』は昭和53年2月26日から同年11月12日まで,北海道新聞の日曜版に連載された。

『泥流地帯』は,ご主人の三浦光世さんが綾子さんに勧めて書いてもらった小説の一つとされている。光世さんが営林署に勤務していたとき,図書の管理の仕事をしており,そこでたまたま見た『十勝岳爆発災害志』という本がずっと気にかかっていたのだという。綾子さんは農家の経験がないため,自分には難しいと躊躇したそうだが,農を経験化できるまでに綿密な取材を重ね,開拓農家に育つ主人公たちの歩みがいきいきと描かれている。主人公の耕作とその兄・拓一は,光世さん兄弟をモデルにしているといわれている。また,多くの人物が実名で登場しているのもこの小説の特徴となっている。

三浦文学の中では,『氷点』『塩狩峠』『道ありき』に次いで,人気ランキングでは常に4番目につけているそうである。

望岳台

まずはバスで一路望岳台へ向かった。ここは目の前が十勝岳で,5キロと離れていないところに噴火口がある。噴火口の近くには硫黄鉱山があり,主人公の姉・富はここで惨死している。

 

ハイマツ帯は泥流の跡で,最近でこそ緑に覆われてきたが,私が子供の頃はまだ赤い地肌が露出していた。まだ深い雪の残る大正15年5月24日,爆発によって吹き出した溶岩は,雪を溶かして泥流となり,時速60キロで山肌を下って,眼下に見える上富良野の村を襲ったのである。2001年に開催された三浦綾子記念文学館「『泥流地帯』の世界」展のリーフレットには,この泥流地帯に立つ三浦夫妻の写真が掲載されていた。

泥流地帯を横断する十勝岳スカイラインを行くのかと思ったら,路面凍結の恐れがあるということで,再び白金温泉方面に下ることになった。

白金温泉白樺街道。泥流の一部は美瑛川に沿っても流下した。その跡に自生したのがこれらの白樺である。

道道美沢上富良野経由で上富良野に向かった。

日新神社の角を左折し,新井十人牧場道路に入った。バスはどんどん沢の奥深くに入り,砂利道に変わるところでバスを降ろされた。

この奥に日新尋常小学校の跡があるのだという。

日新尋常小学校跡

 

妙に新しい碑が建っていると思ったら,これは昨年教員委員会が立て直したもので,それまでは右の写真のような判読し難い木柱だったそうだ。

日新尋常小学校は主人公の耕作らが通っていた学校で(小説では「日進」と表記),富良野川が富良野盆地に流下する手前の谷底にあり,泥流で跡形もなく流されてしまった。噴火の日は先生が不在のため臨時休校だったが,児童46名中11名惨死,通学区域の死亡者は65名に及んだ。

この時,一人で教鞭を執っていたのが菊池政美先生で,日新の小学校を卒業した後,早稲田の講義録を取って教員を志したという人だった。噴火の日は正教員資格の検定受験のため旭川に出向いており,帰途,泥流で奥さんと子供が死亡したことを知らされたという。小説の中では菊川先生という名で登場する。

再び道道に戻ると,噴火後に移転した日新小学校の跡地が左手に見えた。昭和53年度をもって閉校し,現在は体育館のみが残っている。

耕作の姉・富の嫁ぎ先である武井隆司が住んでいた「鰍の沢」。富良野川の支流だが,この沢にはまったく泥流の被害がなかった。

十勝岳爆発記念碑

町内に12ある十勝岳爆発関係碑の一つで,泥流で流されてきた巨岩を台座にして建立されている。主人公の家は,この付近にあったという想定らしい。

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