北海観光節小さな旅行記キラキラ旭川

キラキラ旭川 その4

2008年12月13日

買物公園1条通〜4条通

丸井今井旭川店

 

1978年に向かいの敷地から移転オープンした。私が1歳のときのことで,旧店舗の記憶は残っていない。翌年には西武A館の前身となるAmsもオープン,振り返ってみれば買物公園の絶頂期に私は幼年時代を過ごしたことになる。買物公園の良かった時代を知っているだけに,買物公園にはこれからも頑張ってほしいと思っている。

正面玄関のクリスマスツリーは意外に質素だったが,各階のエスカレーター付近には趣向を凝らしたツリーがあって,老舗の百貨店の風格を感じることができた。

今年20年ぶりくらいに9階まで上がってみたが,かつての大食堂はなくなっていた。デパートならどこでもあったはずの展望大食堂も,現在では花巻のマルカンデパートくらいしかないといわれるのだから無理もないことではある。

ただ,代わりにできた食堂がなかなか良いのでときどき食事をしている。

 

子供の頃は,たしかこの辺の席がいちばん好きだった。当時はよっぽど運が良くなければありつけなかった特等席も,いまでは昼時に一人で訪れてもたいがい座れる。窓からは旧店舗跡の丸井今井広場を見下ろし,いつも鳩がたくさん羽を休めている和やかな景色を見ることができたものだが,いまではビルが建ち,かつての開放的な眺めは望めなくなってしまった。

食堂のある9階には,商品券売り場やクレオクラブの入会コーナーがあって,滅多にお客さんは来ないのに,お姉さま方がただじっと座って1日を過ごしている。百貨店不況といわれる時代にこれで商売になるのかと不思議だが,こういう百貨店の余裕のある姿勢こそが街に品格を与えてくれるのだと思う。

マルカツデパート

 

丸井今井のはす向かいにある,地場のデパートである。キャッチフレーズは「この街が好きです。」。1階にテナントとして入っていた老舗の果物屋はついになくなった。

デパートと称しているが,高級志向ではなく,かつ安売りの店でもなく,普通のものを普通に売っている。日用品を売る店がことごとく郊外に移転してしまった中では貴重な存在で,例えばマツヤデンキも駅周辺の家電屋としては唯一の存在になっている。こういう店はなくなっては困るので,私もなるべく買い物はマルカツでするようにしており,最近ではついにVHSレコーダーが壊れたので,デジタル放送対応のDVDレコーダーをマルカツで購入した。

フロア中央のテナントは多くが入れ替わってしまったが,エスカレーターまわりには古くからの店が多く,高校入学のときブレザー一式を購入した洋服屋も健在である。しかし,多くの店が年中赤札を掲げており,滅多にお客さんの姿を見かけないのは気がかりである。

オクノ

3条のオクノ。繁華街が近く,毎日18時頃になるとオクノの前に待ち合わせの輪がいくつもできる。

 

オクノは札幌でいえばピヴォに雰囲気の似たファッションビルで,もともとは1973年にそうごデパートとして開業している。

7階にカワイ楽器が入っていて,子供のころカワイ楽器の教室に通っていた関係でたまに訪れることがあった。そのころはオクノの魅力がわからず,ほかのデパートに比べて窮屈で薄暗い雰囲気が好きではなかった。母に尋ねると「ここは大人の女性が来るお店なの」と言った。

オクノでは「オクノジャーナル」という季刊のPR誌を制作しており,毎号オクノの社長と著名人との対談が掲載されている。最新号では旭川市の西川市長と,旭山動物園の小菅園長とのビック対談が組まれている。なかなかポリシーを感じるデパートである。

 

クリスマスツリーも2つの玄関にそれぞれ設置されていた。

地下のレストラン街は南国のクリスマスムード。

しかし,今春には5階にあったはずのデザイナーズグッズの店や雑貨屋,カラーセラピーの店がなくなっていたのはショックだった。

おもちゃのたもちゃん

買物公園を代表する老舗として何かと話題に上ることが多い玩具店。

旭川屋

旭川市の物産・観光情報センター。旭川のお土産が充実している。4条という観光客にとっては半端な場所にあるのが難だが,旭川に来た人たちにはぜひ寄ってもらいたい場所だ。

 

自由にオーナメントにお願いごとを書いてツリーに飾れるようになっていた。

佐藤製薬のサトちゃんとサトコちゃんもクリスマス気分。

4条通りから先の買物公園は背の高いビルがなくなり,落ち着いた雰囲気の商店街になる。それでも6条にはボーリング場や映画館,ゲームセンター,ライブハウスが入った須貝ビルがあって,若者達の姿が多く見られたのだが,今年ついに須貝ビルが営業をやめた。行き場を失った高校生達は今どうしているのだろうか。

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