青い池の駐車場から白金温泉街まで3キロメートル程だが,車道にほぼ沿う形で「白樺遊歩道」が整備されている。
遊歩道は笹が刈られて,大変歩きやすかった。ただ,白樺遊歩道といっても,もはやシラカバの木はほとんどなく,大方エゾマツやトドマツに遷移していた。
シラカバの木も時折大きなものがあった。
道に大きな葉っぱが落ちていたので見上げると,ホオノキであった。むかし,白金の郵便局でホオノキの葉で作った葉書を発売していたと思う。
途中,一面がカバノキという場所が2箇所ほどあった。ただシラカバではなく,ダケカンバかウダイカンバではないだろうか。
道端では巨岩を時折見た。大正15年の泥流で流れてきたものだろう。白樺ももともと泥流の跡地に一斉に生えたもので,以来85年がたち,マツなど陰樹の森に置き換わりつつあるわけである。
この美瑛川を下った泥流は美瑛市街まで到達せずに止まったが,一方の富良野川を下った泥流は上富良野市街に到達し,死者137名の甚大な被害を及ぼした。
市街から見ればはるか遠くに見える山からの噴出物が,津波となって市街まで到達するとは誰も思わなかったであろう。それでも私の家では,普段めったなことで動じることはなかったという高祖父が,これは大変なことだと騒ぎ,迫り来る泥流を尻目に一家で田の畦を走って高台に駆け上がったという。
大正15年の泥流を小学1年で体験し,今年また仙台で被災した大叔母に話を聞いたが,十勝岳の泥流は三陸の津波と比べれば規模はずっと小さいものの,被害の様相はまったく同じだと言っていた。
キノコのことはまったくわからないが,いろいろなキノコを見た。
途中には立派な休憩所があった。
不動の滝へのパスもあったが,今日は初めて歩く白樺遊歩道の完踏を優先する。不動の滝については2006年の旅行記バスで行く十勝岳紅葉先どり紀行参照。
遊歩道の終わりには,ひなびたお土産屋か茶屋でもあれば最高と思ったが,突然視界が開けて目に入ったのはホテルのテニスコートの土手だった。
遊歩道を歩いている間,人にはまったく会わなかった。青い池のバス停で降りた人たちは,そのあとどうしたのだろうか。