日が明けて,10月10日。この日は昭和56年10月1日に開業した石勝線の30周年を記念した「石勝線信号場停車&夕張・鉄道遺産の旅」が,帯広駅発着で開催された。
JRが企画するツアーには,これまで参加したことがなかったが,石勝線開業30周年という記念すべき時を,多くの人と共有したいと思い,ツアーに申し込んでみた。
石勝線が開通したとき,私は幼稚園の年中だった。占冠駅を訪れたのは開通して最初の日曜日だったと思う。占冠駅の待合室はものすごい人で混んでおり,時刻表には特急・急行を示す赤い字ばかりが並んでいたのを覚えている。以来,千歳空港経由で帰省する東京の叔母を占冠駅まで送り迎えしたことが何度かあったが,自分で実際に石勝線に乗ったのは,平成7年,大学1年の夏だった。
以来,石勝線の清風山信号場を卒業設計の敷地に選ぶなど,石勝線との関わりは深い。
ツアーの列車は帯広駅6時28分発車だったが,途中,芽室,十勝清水,新得の各駅からの乗車も認められた。新得からは数名が乗車。何やら偉そうな方が駅長に案内されてやってきたが,誰なのだろうかと思った。
列車は朱色に塗り直された,キハ40の2両編成だった。募集定員80名はいっぱいで,そのほかJRの関係者と思われる人たちも多数乗っていた。
新得からが,いよいよツアーの本番である。車掌から「次は西新得信号場,次は西新得信号場,7時47分の到着で2分停車をいたします」と放送がある。
今日のツアーのポイントの1つ目は,「石勝線新得〜新夕張間全12ヶ所の信号場に2分以上停車」するということである。結局,トマム駅,占冠駅にも停車したので,「全停車場に」といったほうが正確だろう。
石勝線に窓が開く列車が走るというのは定期列車では久しくなく,非常に貴重なことであるが,新得駅〜上落合信号場間は,根室本線のキハ40使用の定期列車があるため,さほど貴重なことではない。
建物が独特な広内信号場。当初は有人の信号場だったという。
一部の参加者にとっては,扇風機が珍しいものだったらしい。暑くもないのに車内の何か所かで扇風機が回っていた。
紅葉の狩勝峠を行く。
新狩勝隧道の碑のことは説明されて初めて知った。
新狩勝トンネル内に設けられた信号場で,ここで根室本線と石勝線が分岐する。図のように,トンネル内にホームを設けて両線の乗り換えを図るという計画もあったようである。
右が根室本線,左が石勝線。
信号場の建物は,トンネルを出たところ,根室本線の落合寄りにある。
にぎわう車内。しかし,信号場に到着するたび,みんながみんな窓を開けて写真を撮るかといえば,そんなこともなく,信号場自体に興味を示していたのは比較的少数派であった。
串内信号場では列車待ち合わせのため29分間の大停車。
まずは8時32分,釧路行のスーパーおおぞらが通過。
この後,8時48分の下り貨物列車到着までの時間を利用して,車内でセレモニーが行われた。
JR北海道釧路支社長から新得町の浜田町長へ,記念品の贈呈が行われた。新得駅から乗り込んだ偉そうな人は新得町長だったのだ。記念品はSLのC11-171の模型。ちゃちゃワールドで作ってもらったものだという。
浜田町長からは,お返しとして名産の新得地鶏が贈られた。
浜田町長からご挨拶を賜る。新得町からは参加者全員にもトムラウシ温泉の入浴剤など記念品がプレゼントされた。
8時48分,札幌方面からDF200牽引の貨物列車が到着。さらに2分後,帯広側からスーパーおおぞら2号が入線し,3列車が揃った。