北海観光節小さな旅行記「北の国からと石勝線30周年」

「北の国から」と石勝線30周年 その6

トマム駅 9:04着/9:06発

線内最初の旅客駅,トマム駅に到着。ここではドアが開き,ほとんどの参加者が列車を降りて写真を撮っていた。

トマム〜占冠間は,同じ占冠村内でありながら,長らく陸路が整備されておらず,昭和30年ころまでは根室本線の落合駅,金山駅を経由するルートが使われており,両集落を往来するのに2泊3日を要したという。それが現在では,JR石勝線,道道夕張新得線,道東自動車道と,3つの動脈が山間を縫うようにして走っている。

ホロカ信号場 9:12着/9:14発

かつて周辺には下トマムという一大集落があり,石勝線開業時はトマム信号場を名乗っていた。現在はわずかに人家が残るのみだが,もし石勝線が10年か20年早く開業していれば,恐らく駅になっていただろう。

滝ノ沢信号場 9:21着/9:31発

9分間停車し,スーパーとかち1号の通過を待つ。

東占冠信号場 9:35着/9:37発

こんな看板の写真を撮って,何に使うのだろうか。

占冠駅 9:41着/9:43発

占冠駅到着。

占冠駅では「急行」の表示を掲出するパフォーマンスが行われた。

今日のツアーで,占冠村の存在を感じさせる演出がなかったのは残念だが,石勝線の建設をもっとも切望し,開業後もっとも影響を受けたのが占冠村である。

石勝線の開通後,トマムリゾートの開発により村の人口は一時的に増えたが,過疎化は進む一方である。しかし,よく言われるように都市と結ぶ鉄道が単に過疎化をもたらしただけかというとそうでもないと思う。トマムリゾートはこの30年の間にいろいろあり,従業員も世代交代したが,リゾートを退職した後も村内に残る人が少なくなく,彼らが占冠の新しい文化を作っている。過疎の地だからこそできるスローフードな暮らしの実践など,今では市民運動の全国的先進地とまで言われるようになった。そう考えると,石勝線の開業は,森林資源や鉱山資源の開発という当初の目的を果たすことはなかったが,占冠村にとってある意味大きな発展をもたらしたということができるだろう。

さて,いよいよ本日の隠れたメインイベントである,旧鬼峠信号場の通過である。ツアーの案内書には一切の記載がなかったが,鬼峠信号場のことは主催者も,多くの参加者も心得ていて,通過にあたっては特別の取り計らいがなされた。

占冠駅発車後,車掌から次のように案内があった。

「ここで,次の清風山信号場までの間に,かつてありました,廃止されました信号場,鬼峠信号場について,ご案内をいたします」

「鬼峠信号場は,この先2つ目に入りますトンネル,鬼峠トンネルの中に設置をされておりましたが,その後廃止をされ,今日に至っております。ポイントなどの設備はすでに撤去されておりますが,規模の大きい構造物でありますトンネルは当時のままで,かつて行き違い設備のあった部分のトンネル幅は,現在も広いままでございます」

「ご乗車の列車は,この鬼峠信号場がかつて設置されておりました付近,速度を落として通過をいたしますので,どうぞご覧ください。トンネルは進行方向向かって左側へ幅が広く広がっております。鬼峠信号場に近づきましたら改めてご案内いたしますので,左側車窓にご注目ください」

鬼峠信号場跡通過。規則上の問題か,停車することはなく,最徐行で信号場跡を進んでいく。車内は照明が落とされた。

信号場跡を過ぎてトンネルの幅が元にもどり,車内照明が点灯すると,車内は拍手喝采に沸いた。

清風山信号場 9:59着/10:01発

高いところにある信号場のさらに上を行く道東自動車道は,いよいよ10月29日に開通する。

第1ニニウトンネル入り口。まさに,今年5月27日に発生した特急列車脱線炎上事故の現場であるが,心得た参加者が多かったのか,まったく話題にする人はいなかった。

東オサワ信号場 10:10着/10:26発

東オサワ信号場でスーパーおおぞら3号の通過待ち。

 

信号場周辺は,新登川,奥穂別とも言われた集落で,かつては商店や学校もあった。現在も人家がある。

石勝線内の信号場のうちいくつかは,建設時には駅として計画されていた。ただそれは書類上のことであって,実際には国鉄は最初から駅を作るつもりはなかったという話もあり,実際「ニニウ駅」が計画されていた占冠村のニニウ地区では,住民に駅ができるという認識はなかったと聞く。

一方,この東オサワ信号場は,建設時「新登川駅」として計画され,駅ができると考えていた住民もいたようである。石勝線開業時には,駅開設請願の動きもあった。

駅はできなかったものの,近くに道東自動車道の穂別インターチェンジが設置され,この数年で集落の様相はずいぶん変わった。

オサワ信号場 10:31着/10:33発

道路交通の事情を考えると,石勝線内で最も奥地に位置する信号場。

楓信号場 10:40着/10:42発

平成16年3月12日をもって旅客駅としての営業を終え,信号場となった楓信号場。定期列車では使用されることのなかった本線のホームはまだそのまま残っている。

跨線橋の上には10名ほどのカメラマンが待ち構えていた。楓がこれほどにぎわったのは,駅廃止のとき以来だろう。

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