下川市街を過ぎて,三の橋に続いて二の橋を渡り,二の橋跨線橋を越える。
二ノ橋駅があった場所とは離れているが,二の橋には会館を中心とした小集落があり,印象的である。
一の橋教育発祥の地の木標があった。上名寄にも,開拓発祥の地,教育発祥の地,水田発祥の地と,それぞれ碑があった。
下川市街から12分ほどで,一の橋の市街地に入った。
一の橋には,かつて下川の市街地とは別に営林署があり,一大集落であった。しかし,営林署廃止後の過疎化は著しく,小学校,中学校は既に廃校,昨年10月には駐在所もなくなった。
現在,集落で唯一の公共機関は一ノ橋郵便局で,昨年11月にオープンした一の橋住民センター「札天の里」の中に入っている。
札天の里の裏手は,かつて森林鉄道も乗り入れていた広大な旧一ノ橋のヤード跡で,そこに昨年から町営住宅の建設が始まり,エネルギーの自給を行う「一の橋地区バイオビレッジ構想」で全国的にも注目を集めている。
バス停には駅名板があった。
一の橋の名の由来でもある橋を渡る。渡るのは名寄川である。
天北峠。標高300メートルとあっけない峠ではあるが,北海道の背骨に位置し,名前のとおり天塩と北見の国境をなしている。
峠越えの区間は,線路跡が国道と並行しており,はっきり確認することができた。車道とまったく同じルートで線路が峠を越えるというのは,かなり珍しいことではないか。
上興部市街。ここから数名がバスに乗車した。
上興部駅は木造の駅舎が記念館として保存されており,バスの車窓からも確認できたが,写真を撮り逃した。かろうじてキハ27形気動車が写っている。
上興部付近は,シカによる食害が著しかった。エゾシカの活用について,道内でももっとも早くから取り組みを行ってきたのも西興部村である。
西興部市街に入る。ここでまた数名の乗降があった。
バスは国道から左に外れて,元の線路沿いの道を走る。村の公共施設は,緑の屋根とオレンジの壁に統一されている。
西興部のバス待合所。
続いて,中興部駅跡を通過。ここはなぜか駅舎やホームが廃止当時のままで残っているようである。
名寄から1時間半で興部に着いた。
終点の興部バスターミナルで下車。運賃は1,730円。
かつての駅前。
興部駅の跡は,道の駅おこっぺとなって,きれいに整備されている。
道の駅の本館に相当する建物には,興部交通記念館が併設されている。
興部駅では名寄本線より一足早く,興浜南線が1985年7月に廃止されている。興浜線は,興部と天北線の浜頓別を結ぶ予定で,網走〜稚内をオホーツク本線とする構想もあったが,雄武〜枝幸間が未開通のまま廃線を迎えた。
キハ22が2両保存されていた。
そのうち1両は「SALOON・語らいの舎」として開放されていた。もう1両はHOSTEL・出会いの宿として今も現役のようだが,この日は施錠されていた。
保存車両としては,かなり状態が良いほうだが,やはり傷みは進んでいる。
道の駅で「おこっぺハムウインナー」使用のホットドックと,冨田ファームのオーガニック・杜のヨーグルトをいただいた。
興部というとオホーツク沿岸という位置柄,浜の町かと思うが,道内有数の酪農の町である。特にヨーグルトは複数の農場でオリジナルの商品を販売しており,類まれなことである