「日本鐡道全図」(北海タイムス,1926.5)
今年は北海道各地で,桜の開花が史上最も遅い記録を更新している。温根湯温泉のツツジも例年より2週間遅れており,つつじ山の入山期間が5月26日まで延長されたとニュースになっていた。
ちょうど,一度温根湯温泉をじっくり訪ねてみたいと思っていたところだったので,つつじ見物がてら行ってみようと思った。
旭川から温根湯温泉へは,北見行きの都市間バスに乗れば,乗り継ぎなしで行くことができる。しかし,せめて陸万ドライブインの休憩があれば,いくらかの旅情を感じることもできようが,陸万ドライブインは昨年11月をもって休業となり,バスの立ち寄りがなくなったという。これでは,旅情も何もない。
そこで考えてみると,紋別経由の旧名寄本線のルートがあることに気が付いた。かなり遠回りのように思われるが,温根湯温泉の最寄駅である留辺蘂駅までのルートとしては,池田から網走本線経由のルートが1912(大正元)年に開通した後,1921(大正10)年にショートカットとして名寄本線が開通しているのである。その後,1932(昭和7)年に現在の石北本線が全通するまでの10年間にわたって,名寄本線は旭川から温根湯温泉に行く際のメインルートだったと言える。
1989年に廃止されたJR名寄本線の転換バスには一度乗ってみたかったこともあり,転換バスを乗り継いで温根湯温泉に行ってみることにした。
今日乗る予定の普通列車は,旭川〜名寄間と上川〜旭川間で,運賃は計2,640円である。2,200円の道北一日散歩きっぷを利用することもできるが,旭川駅まで行かないと購入できない。最寄りの旭川四条駅からさらに旭川駅までのハイヤーの差額を考えると,得になるのかどうか微妙なので,今日は普通運賃を支払って旭川四条駅から出発することにした。
旭川四条駅を中心にガード下を南北に貫いていた17丁目オール商店街は2005年に解散した。空き店舗が増えた旧商店街のビルには,次の世代がいくつか新しい店を開業している。駅には「旭川四条駅界隈お散歩マップ」が張ってあった。
1日1往復の宗谷本線を完走する普通列車。途中,列車番号が2回替わるが,駅に掲示されている時刻表では稚内行きと案内されていた。
農作業も今年は遅れており,水田もようやく水が張られたところ。最近は水田の大型化が進んでおり,まるで海のように大きな水田が車窓に続く。
塩狩峠にはまだ雪が残っており,一目千本桜の開花は当分先のようだ。
旧名寄本線の線路上に展示されているキマロキ編成。
名寄駅に到着。上下の列車が同時に到着し,高校生たちで賑わっていた。
名寄本線,深名線が廃止され,宗谷本線の位置中間駅となった名寄駅。大きな駅舎だけが往時の賑わいを今に伝えている。
駅前には立派なバス待合所ができていた。道北バスの窓口も設置されていた。
いよいよここから,JR名寄本線の転換バスに乗る。まずは,一路東へ向かいオホーツク海側の興部町に出る。
この独特の雰囲気は,廃線跡っぽい。
中名寄駅の駅舎はそのまま残っていた。
「中線跨線橋」を越える。橋の下は線路があったはずだが,かなり畑に変わってしまって,跡を追えないところが多い。
上名寄市街を通過。ここはもう下川町である。
上名寄跨線橋を渡り,線路跡は再び車窓の右手に来る。
「住宅前」という,名前だけでは場所の特定が困難なバス停。
下川市街に入った。
バスは,国道から右に折れ,旧駅前通りに入る。
下川町バスターミナルで小休止。この裏手に,キハ22形気動車が2両展示されているのだが,バスの車窓からは見えなかった。
下川町に特段の縁はないのだが,これまでにけっこう来ている。親が商工会で視察した縁で家族で行ったのが最初だが,その後自分でも,盆踊りを見に行ったり,占冠村との交流関係で下川町の有志の方とも何人かお話したことがある。仕事関係でも,1泊2日の下川ツアーになぜか2回も参加したことがある。
そのようにして訪れるたびに,下川はまったく違った面を見せてくれる。下川町は2008年に国の環境モデル都市に選定されて以来,他の市町村の追従を許さない強い自治体としての一面ばかりが強調される風潮があるように思うが,そうではない多様な一面もきちんと見ていかなくてはならないと思う。