興部で30分間の小休止ののち,引き続き名寄本線の転換バスで今度は紋別を目指す。
名寄本線廃止時の時刻表を見ると,基本的に名寄〜遠軽間は直通運転がされている。名寄8時05分発の遠軽行きは,もともと遠軽から急行大雪となる速達便だったが,遠軽には11時11分に到着している。今日は名寄7時57分のバスに乗ったが,遠軽に着くのは12時25分である。名寄本線は最後まで通票閉塞という明治以来の保安システムで運行されていたが,今日のバスに比べれば格段に速かったのだ。
転換バスも,以前は名寄〜遠軽間の直通運転がされていたが,2005年10月以降は興部と紋別を境に3つの系統に分割されている。
興部の市街地には,2ケタや3ケタの電話番号を書いた商店があった。相当の年代物だ。
国道から見えた名寄本線の橋梁跡。
このあたりは線路跡が畑になることもなく,はっきりと跡を追うことができた。
いかにも北海道らしい道。
今日は,今年初めての春らしい日となり,牛も嬉しそうだ。
バスは沙留で国道を外れて,岬沿いの道に入った。途中に沙留海水浴場という停留所があり,海の家などもあった。
国道に戻って,しばらく美しい砂浜の海岸を行く。
オサムロ原生花園。
滝上への渚滑線が分岐していた渚滑市街。
渚滑駅の跡にはSLが保存されていた。旧機関庫が室内パークゴルフ場として活用されているという。
渚滑からは市街地が途切れることなく,紋別市街に入った。久しぶりの都会である。
モスバーガー前という停留所名も,都会的だ。
いかにも駅前らしい十字街に差し掛かった。
紋別ターミナル。
ターミナルの中には,旅行センターやレンタカーの事務所が入り,他のバスターミナルとは一線を画していた。市である紋別から鉄道がなくなるというのは,当時かなりショッキングな出来事だったのだと思う。
紋別はたしか小学5年の1988年2月に訪れており,紋別駅のこともかすかに記憶がある。この正面あたりに駅舎があったはずだが,いまは道路ができて跡形もない。
そのとき流氷見物に家族で訪れたのだが,流氷はまったく来ておらず,ガリンコ号の乗船があきらめた。その分奮発して,かにの御馳走を食べたのが,駅前のこの店だったように思う。一人前2,500円のかに御膳で,いままで家族で食事をした中では,いちばん高級なものだったので印象深く覚えている。
バスターミナル向かいのオホーツク海紋市場には,紋別駅の駅名標と駅名板が保存されていた。
また,鴻之舞金山に関する説明もあり,鴻紋軌道をモチーフに作曲されたという「銀色の道」の歌碑があった。
今日13時から紋別市文化会館で,映画「モンサントの不思議な食べもの」の上映会があるという。話題になっているので近いうちに見ておきたい映画だ。