道路に歩道が現れ,学校に近いことを感じさせる。
上富良野から歩くこと,1時間あまり。ようやく新田中小学校の廃校舎が見えた。
新田中小学校を知ったのは,ちょうど30年前,小学1年のときだった。家族で学校の前を通りかかったとき,父がここが新田中小学校だと教えてくれた。そのとき私は「ちんたらっか小学校」と覚えてしまった。変わった名前だと思いながら,本当の名がシンタナカだと知ったのはだいぶん年数が経ってからだ。
学校の入り口には,青年が案内板を持って立っていた。主宰の方の息子さんで,東京から手伝いに来たのだとあとでわかった。
校舎と体育館が,ほぼ廃校当時のまま残っている。一般的に農村人口が最も多かったと言われる1960年当時においても,全学年まとめて1学級,先生も校長先生一人だけという極小サイズの小学校だった。先生が一人だけという学校を当時富良野沿線で探してみると,富良野市の上御料分校,占冠のホロカ分校の例があるが,本校では当時でも唯一の存在だった。
もともとここに学校ができたのは,1917年に上富良野と中富良野が分村した当時,新田中の児童たちは上富良野の江花小学校に通学していたが,村が違うのでしだいに厄介者扱いされるようになったのが契機だったという。住民が建築費や教員の給料も全部負担,学校用地も住民が寄付することによって,1919年,学校ができた。この校舎には,そうした住民自らが作った学校という雰囲気が残っているように思うし,自分たちが作ったという誇りがあったからこそ,これほど小さな学校が1990年まで残ったのであろう。
校舎部分は1950年の改築である。窓は外側がアルミサッシに交換されているものの,原形をよく残している。
教員住宅は3棟あったから,最後には3人の先生がいたのだろう。
グランドには遊具も残っていた。
1990年の閉校後,しばらく民宿として使用され,2007年からは地域住民が運営する自炊宿泊施設「ぬくもり庵」となっている。
靴箱も素朴。
玄関を入ってすぐ左が職員室。
廊下。
オルガン。この学校にはピアノがなかったのかもしれない。校長先生が子供たちの前で一人オルガンを弾く。そんな昔話のような風景が,この学校ではつい最近まであったのだろう。
学校の目標。
校舎の絵をバックに書かれた校歌の額。1980年度卒業生による作品。
体育館は校舎より後に,恐らく昭和30年代に入ってから増築されている。施工した高組による新築記念の時計が掲げられていた。広さは7.28m×12.09m,約88m2で,一般的な学校の体育館の1/10ほどだ。それでも校舎が小さいだけに,けっこう広々とした感じがした。
受付で,参加費の1,500円を払うと,きれいなチケットをもらえた。