北海観光節小さな旅行記新田中わっか祭とノロッコ初日

新田中わっか祭とノロッコ初日 その1

2013年6月8日(土)

田植えや苗の植え付けが一段落したこの週末は,イベントが目白押しである。旭川近郊に限ってみても,北海道音楽大行進,富良野・美瑛ノロッコ号出発式,旭川医大祭,食のガーデンinかみかわ町,トマム寄席など興味をそそられるイベントがたくさんだ。

その中でも,ぜひ行ってみたいと思ったのが,中富良野町の旧新田中小学校で行われる映画祭の「第2回わっか祭2013」だ。

西御料7:52発→上富良野8:37着 富良野線 帯広行き普通列車

富良野線で唯一帯広に直通するこの下り列車は,上富良野で言うところの8時汽車である。

美瑛を過ぎたところで,くたびれた白い背広に黒いサングラスの男性が突然近づいて,

「あんたの父さん知ってると思うんだよな」「そっくりなんだよ」「名前なんて言うの」「俺も久しぶりだから,違うかもわからないけどさ」

と声をかけられた。男は旭川から乗っていたが,美瑛で私が降りなかったことで確信したのだろう。

しかし父とある面似ていると言われることはあるけれど,姿がそっくりだと言われたことはないので,たぶん人違いだと思う。

それでも「久しぶり」という言葉には,数十年の重みが感じられ,妙に哀れに思われたので,どんな人生をたどってきたのか聞いてみようと思ったが,やはり何か事情を抱えているものと思いやめておいた。

降りるたびに,窓口がなくなってはいないかと心配になる上富良野駅。今日も元気に営業していた。この後,ノロッコ号到着時にはイベントがあるため,駅員さんにも緊張感が見えた。

上富良野駅はずいぶん前から建て替えの話が出ている。ほかの町の駅は新しくなっているのに,上富良野だけ古めかしいな木造のまま残っていることを,みすぼらしいと思っている人が多いらしい。しかし,ほかの町の駅が新しくなっているからこそ変わらずにあることが貴重で,全道的に見ても,もうこういう駅舎は残っていないのである。

最近は,いよいよシャッターを閉めっぱなしの店が多くなった。しかし,一見してひと気がないこの通りも,窓の奥では,いくつもの目玉がぎょろぎょろとこちらを見ているはずだ。

以前,帰りに駅へ向かうとき,母に,「気をつけて歩きなさい」と言われたことがあった。何に気をつけろと言うのかと思ったら,みんな見ているから気をつけなさいというのだ。こうして,写真など撮って歩いていたら,それがもう次の日には,町の話題になっている土地柄である。

紙袋に2つ分の苗を実家に持って行った。植えるのは明日。この時期,水は1日持たないので母に水やりを頼んでおいたが,花には関心がない人なので忘れないか心配だ。

実家には苗を置いただけで,すぐ出発し,新田中へ向かう。

涙橋を渡る。大正泥流のとき,ここで多くの遺体が上がったので涙橋の名がついたと言われる。町の火葬場がこの上にあって,今も火葬場に向かう車は必ずこの橋を通る。

葬列が徒歩だった時代は,参列者は涙橋まで一緒に行き,ここで遺族とお別れをしたとも聞いた。葬列が家の前を通るとまんじゅうや餅をもらえるので父は楽しみだったというが,私は霊柩車が嫌だったので,霊柩車が通る時間になると家の中に引っ込んだものだ。

きれいに整備された見晴らし台公園。今日は気温が高いので十勝岳連峰の眺めはいまいちだ。

国道沿いの見晴らし台情報ステーションは,まだオープンしていなかった。

富良野ホップスホテル。上富良野でホテルといえば,駅前にヤマサホテル,トーヨーホテルというビジネスホテルがあって,長らく閉鎖されていたのだが,こんな町はずれにホテルができたときには驚いた。時代は変わったのだ。

北海道遺産・土の館。

北海カラマツ加工企業組合の丸太置場。もともとは,国有林の伐採が厳しさを増すなかで、民有林のカラマツ小径木を加工,建築材として生産しようという目論見で,1974年に富良野地区森林組合が設立したカラマツ加工工場であった。時代を30年以上先取りしていたわけである。

道道から西三線道路に入る。

この道路を初めて歩いたのは,中学1年の遠足だった。歩くのはそれ以来だが,悲しいとき,やるせないとき,自転車で何度も通った道である。

昨年の晩夏に,東京の従妹が10何年かぶりで上富良野に来たときも,ドライブがてら,なんとなくこの道が好きなんだよねと言って,車で通った。お互いもう少し大人になってからじっくり話そうと思って,そのときはあまり話をしなかったのだが,その数か月後に従妹は急逝した。あのときじっくりと話をしなかったことか悔やまれる。

この椀状の地区が江花である。小学校もあったが,いまは跡形ない。

マルチがきれいな縞模様を描く。かぼちゃだろうか。

農家の納屋には,木製の車輪がさりげなく立てかけてあった。この方面から,馬車で市街に買い物に来るおじいさんがいた。私が子供だった当時でも,だいぶん時代がかった雰囲気を感じたが,さすがにもうお亡くなりになったろうか。

上富良野八景のひとつ,パノラマロード江花。

道端の白い花がきれいに見えるが,これはたんぽぽの綿毛である。

カラマツの新緑が素晴らしい。

北21号で西4線に移り,中富良野町に入った。

今日こうして歩こうと思ったのは,祖母が歩いた道を追体験したいという意味もあった。昔,実家が運送屋をやっていたころ,中富良野の奈江にお客さんがあって,上富良野から歩いて集金に行ったという。洋服は生涯着なかった祖母であるから,着物に草履で10km以上の道のりを往復したのだ。しかも,行ってもお金を支払ってもらえないことがたびたびあったという。

奈江というのは,新田中からさらにひと山越えた先だ。

道道に合流。

手の込んだ農場の看板に,ここが豊かな農村であることを感じる。

この辺は先住民族も住んでいたようだ。

森が皆伐されて,山が丸裸になっている。今日はこういうところが,かなり目についた。何か木を伐る動機があったのだろうか。

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