北海観光節小さな旅行記天塩・紋別冬のイベント巡り

天塩・紋別冬のイベント巡り その4

今日は第64回なよろ雪質日本一フェスティバルも行われている。20時までなので会場の南広場に急ぐ。

 

以前,盆踊りを見に一度訪れたことのある南広場。20時を過ぎていたが,お客さんはけっこういた。

イベントのメインは第16回なよろ国際雪像彫刻大会ジャパンカップ。

  

  

単に,うまい,似ている,というのではなく,芸術性のある小雪像が並び,これは自衛隊任せの雪像が主役の雪まつりよりいいなと思った。ただこの暖気で,かなり崩壊が進んでいたのは惜しまれる。

 

すべり台と迷路。

 

会場内の飲食店は閉まっていたが,道路沿いの出店はまだやっていた。

西3条南6丁目20:19発→西興部21:27着 名士バス 興部線 興部行き

西條前のバス停から名寄本線の転換バスに乗車。宿を取っている西興部に向かう。

名寄駅では遅れていた札幌からのスーパー宗谷3号の接続を取るため,13分ほど発車が遅れた。

このバスは,名寄,紋別経由で旭川〜遠軽間を運転していた快速てしおがわのダイヤを継承している。札幌を17時台に発ち,西紋地区への当日着を可能とする便は,1963年の急行紋別登場以来のもので,往時は支線の興浜南線,渚滑線への接続も取られていた。また,わずかに1年間であるが,急行紋別が中湧別,遠軽方面への札幌・旭川発下り最終便を担っていた時代もある。

現在,滝上,渚滑,紋別方面へは浮島峠経由の高速バス流氷もんべつ号がほぼ同じ時間帯で運行しており,名寄経由の転換バスは興部にて乗継後,紋別22:46着で打ち止めとなっているものの,西興部,興部,沙留方面へは転換バスが唯一の手段である。(雄武へも興部で当便からの接続便があったが,2002年で廃止された模様である)

結局スーパー宗谷からの乗り換え客はいなかった模様だが,JRの駅員がバス乗り場まで来て運転手に礼をしていた。名寄駅前からはビジネス風の旅客を含む9名が乗車し,かつての本線を彷彿とさせるものがあった。

下川通過。市街地の停留所で数名がぱらぱらと降車した。

一の橋市街通過。降客あり。

21時20分,天塩・北見国境天北峠を越える。この時間に車上で国境越えを共にする人がほかに数名いたことは驚きに値する。

上興部市街通過。

遅れをやや挽回し,5分遅れで西興部到着。入れ替わりで1名乗客があった。

本日のホテル森夢(りむ)。立派だ。

和室に宿泊。

 

西興部村では,村営のテレビ放送を行っており,客室の液晶テレビでも見ることができた。

本日のメインプログラムは,「冬の上小っ子まつり」。上興部小学校の冬休み自由研究発表会が1時間半にわたり,ほぼノーカットで放送された。

小学校の自由研究発表会など,自分たちがやった頃以来見る機会がないから,とても興味深かったが,逆の立場で自分が小学生だったとして,発表をテレビに映されて地元の人たちに見られたらと考えると,とっても嫌だなと思った。こういう厳しい環境にさらされて育つ子供たちのことは尊敬せざるを得ない。

中でおもしろかったのは,小学3年生の発表で,選択肢に「1.大正8年,2.昭和14年,昭和35年」とあったことだ。明治生まれの曾祖母,大正生まれの祖父母と暮らしていた私にとって,明治,大正はイロハのようなもので,あまりにも当たり前の概念だったが,小学1年か2年のとき,友人の家で「大正」と言ったとき,友人が「大正」を知らなかったことに衝撃を受け,家を飛び出して帰ってきてしまったことを今も鮮烈に覚えている。

今から31,32年前でそういう状態だったのに,今の小学生は「大正」と言ってどれだけわかるのだろうか。

2016年2月14日(日)

朝食。ホテルにはまだ空室がだいぶんあるように見えた。インターネット予約サイトでも空室が出ていることが多いので,ぜひおすすめしたい宿である。

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