「主要駅時刻表 昭和22年6月号」(日本交通公社,1977年復刻版)
戦争で日本の鉄道は疲弊を極め,本土空襲により客車の20%,連絡船の65%が被災したが,終戦時にもいちおう秩序だった運行体制が維持されていた。最悪の状態に陥ったのは,むしろ敗戦から1〜2年経過してからで,昭和22年1月改正ではついに急行列車と2等車が完全に姿を消した。これは,炭鉱の外国人労働者が帰国したことによる石炭不足が大きな要因だった。本時刻表はそれから状況がやや改善して,昭和19年以降断続的な発行を余儀なくされていた時刻表が月刊に戻った際のものであるが,主要駅のみ掲載といえども,64ページの紙幅に全列車が掲載可能なほど列車本数は減っていた。
網走本線も池田側が4往復,北見側が3往復,峠を越えるのは2往復のみという極限的なダイヤになっている。
上野〜陸別 所要 61時間55分 | ||
上野22:30発 青森20:05着 |
常磐線廻り201列車 | 列車本数のみならず,運転速度も低下しており,上野から陸別まで足かけ4日を要するという開業以来最悪の事態となっている。青函航路も戦前は4時間30分で結んでいたのが,6時間〜7時間を要している。 輸送力が戦時中からますます落ち込む一方,需要は食糧の買い出しや復員輸送,占領軍輸送でふくれあがっていたため,一般人が長距離の旅行をすることなどまず不可能で,機関車の前から客車の屋根までありとあらゆるところにしがみついて乗っている様子は,今日なお映像でよく目にするところである。 なお,本時刻表の附録に6月29日より常磐線,函館本線に2等車連結の急行が復活する旨記載されているが,それでもなお上野−陸別間は60時間近くを要している。 |
青森23:00発 函館6:00着 |
連絡船3便 | |
函館12:30発 池田8:09着 |
403列車釧路行き | |
池田9:40発 淕別12:25着 |
623列車淕別行き |
(7)レールバス投入へ