「公認汽車汽船旅行案内 大正4年2月号」(旅行案内社,1972年復刻版)
大正元年10月5日,池田〜網走間が全通,同年11月18日には線名を網走本線に改称した。支線を有するゆえ本線と称するのであるが,網走線の本線格上げは,同日湧別軽便線の野付牛〜留辺蘂間が開業したことによる。
本時刻表では留辺蘂で列車乗り換えとなっているが,これは留辺蘂から先が軌間762mmの狭軌で敷設されたからである。網走本線はその後,石北東線,名寄東線,相生線,湧網東線を支線に加え,網走本線自体も札弦まで区間を延ばしていった。
大正2年11月10日,滝川〜下富良野(現富良野)間の下富良野線が開通して釧路線が旭川起点から滝川起点に変更になり,12月16日の改正で道内全線の時刻改正が行われた。下り池田14:42発の列車は旭川から直通する網走行き805列車である。当時旭川は札幌に匹敵する人口を要し,北海道内陸部開拓の拠点として,また軍都として極めて重要な位置を占めていた。下富良野線が開通したからといって,簡単に旭川直通の列車をなくすわけにはいかなかったのであろう。
池田17:50発の下りは函館からの急行第1列車を受けるダイヤになっているが,野付牛着が深夜23:38で,そこから先へ向かうには野付牛で宿泊が必要になる。そのようなこともあって,北見は網走本線開通後,開拓の拠点として急速に発展していった。
池田〜野付牛間では新たに大誉地駅が開業している。
上野〜陸別 所要 50時間58分 | ||
上野18:00発 青森11:20着 |
急行801列車 | 常磐線経由の急行801列車は明治39年の登場時,上野〜青森間19時間15分を要していたが,この時点では17時間20分に短縮されている。表定速度にすると42km/hで当時にしてはなかなかの俊足である。 下富良野線開通を受けた大正2年12月16日の改正で,釧路行きの急行は第1列車となった。以降,戦前の一時期,樺太連絡の稚内桟橋行き列車に1列車の称号を譲るが,道内では基本的に釧路行きの列車がトップナンバーを冠しており,現在でもスーパーおおぞらがJR北海道の看板列車であることに変わりはない。 |
青森13:00発 函館17:15着 |
青函連絡船 | |
函館19:20発 池田17:06着 |
急行1列車 | |
池田17:50発 陸別(20:58)着 |
北見行き |
(3)名寄本線全通へ