根室本線
赤平
- 所在地:赤平市泉町1丁目
- 開業日:1913(大正2)年11月10日開業
- 標高:58m
- 配線:交換駅(2面3線)
- 路程:滝川より13.7キロ,東滝川より6.5キロ
- 窓口:簡易委託駅
- 乗降客数:221人(2014-2018年),392人(1983年)
- 最終乗降日:2017.7.13乗車
●東滝川→赤平の車窓
約3.5kmほど走り,空知川を渡る。それまでの間,左手の国道沿いにはロケット開発で知られる植松電機,右手には石狩平野を潤す北海幹線用水路の頭首工,また1982(昭和57)年に廃止された幌岡信号場があったが,車窓からはよくわからない。
根室本線はこの先かなやま湖まで何度も空知川を渡るので,川の表情の変化を追うのもこの路線のひとつの楽しみだ。なお,空知川はかつて滝川村と奈江村の村界をなしていた。 このあたりで最初に置かれた村は1890(明治23)年1月戸長役場設置の滝川村で,西は深川市音江から砂川市,東は富良野沿線までを含むという広大な村だった。同年8月7日には空知川の北側を滝川市,南側を奈江村として分村した。その後1897(明治30)年7月1日,境界を変更して現在の赤平市,芦別市を含む歌志内村が設置され,歌志内村から1900(明治33)年芦別村を分村,1922(大正11)年赤平村を分村している。
●赤平駅
駅舎は総工費18億円をかけて1999年10月にオープンした「赤平市交流センターみらい」という6階建ての立派な建物。札幌駅を除くJR北海道の駅舎としては最高層建築である。1階ロビーには赤平出身の大相撲行司34代式守伊之助(木村光彦の名で長く親しまれた)の装束が展示されており,6階は屋上広場として開放されている。深夜・早朝・年末年始は建物の中に入れず,外回りの専用通路を利用する。
旧赤平駅舎はホーム側から見ると,赤い壁と大きな石炭塊があり,街のイメージに似合う名駅舎だった。駅構内は昔のままで,古めかしい屋根付きホームや,かつて石炭の貨車で賑わっていたであろう側線も残っている。1960(昭和35)年には大阪の梅田駅を抜いて貨物発送量が178万トンで全国1位になったという。その当時約59,000人いた市の人口も,いまは1万人を割っている。
赤平市はもともと農村で,空知川の南岸を走る道道赤平滝川線の沿線一帯を赤平と呼んでいた。鉄道が空知川の南岸に渡ってきたところに置かれたのが上赤平駅で,以後駅周辺に市街地が形成され,1943(昭和18)年駅名を上赤平から赤平に改称している。
産炭地としての歴史は比較的新しく,1937(昭和12)年昭和電工豊里鉱,1938(昭和13)年北炭赤間鉱,住友赤平鉱業所が開鉱している。昭和電工豊里鉱は1967(昭和42年)閉山,中央バス歌志内線の発着点となっている「赤平昭和」にその名を残す。赤間鉱は空知川の対岸にあったが石炭・ズリは炭車で空知川を渡り,国道,線路の下をくぐって駅裏に運ばれた。ズリ山は777段ズリ山階段として観光スポットとなっている。選炭施設群や石炭を貨車に積み込むホッパーは20世紀末まで残っていたが,現在ほとんど取り壊されている。 駅の南東1kmのところにある住友赤平鉱業所は1994年まで残り,近代的な立て坑が保存されている。
赤平から同じく産炭地である歌志内,上砂川経由で函館本線の砂川駅を結ぶバスの便があり,回遊コースを組むことができる。
●見どころ
□777段ズリ山階段
赤平駅のすぐ裏手。1973(昭和48)年に閉山した空知炭礦赤間炭鉱のずり山。周辺はフットパスやJRのヘルシーウォーキングのコースに指定され,休日には散策を楽しむ人たちの姿が多くみられる。
□赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設,旧住友赤平炭鉱立坑櫓
駅裏徒歩10分。東洋一とも言われた立坑櫓が1994年の閉山後も保存されてきた。2018年7月,立坑櫓に隣接してガイダンス施設がオープン,ガイド付きで立坑櫓の見学ができる。
□中央バス赤平ターミナル(廃止,解体)
炭鉱が稼働していた当時,根室本線は貨物輸送でひっ迫しており,沿線住民の移動はバスが主役を担っていた。駅前には窓口や売店のあるバスターミナルが長く残り,往時の雰囲気を伝えてきたが,2008年12月で廃止となった。現在,バスの停留所は赤平駅前のロータリーに集約されている。