石勝線

楓(信) かえで 信号場
夕張市楓
昭和56年10月1日開業
標高212m
2線
南千歳より48.7キロ
新夕張より5.7キロ

●新夕張→楓の車窓

さて,新夕張から先がいよいよ石勝線の真髄ともいえる区間である。最急勾配12‰,最小曲線半径800m,占冠まではほとんどがトンネルと橋梁という近代的な線路である。新夕張を出発した列車はすぐに延長362mの夕張川橋梁を渡り,トンネルに進入する。
ところで石勝線の新夕張−占冠間(紅葉山線)は3つのルートが検討された。第1案は旧紅葉山駅から直接分岐し,登川の南を迂回するルート,第2案は現行ルート,第3案は清水沢から分岐して大夕張鉄道に沿い,パンケモユウパロ川沿いに東進するルート(道道136号夕張新得線のルート)である。実際選択された第2案においては,新夕張駅を旧紅葉山駅から10m高いところに移設することがキーポイントになった。それによって,線路延長が1.8km短縮でき,また新線を登川経由にして在来の登川支線の代替とすることが可能となったのである。その高台の新夕張駅に続く夕張川橋梁は,単線のPC鉄道橋では当時日本1のスパンを誇った。最先端の土木技術を駆使し,鉄道の高速化を目指した意気込みが伝わってくる。
長いトンネルを抜けると左手に旧楓駅のあった楓の集落を望む。旧国道沿いには時間が止まったような小市街があり,路線バスに乗るとこの旧道を通ることでができる。国道274号と交差して左手に観光バスで賑わう北海道物産センターが過ぎると楓信号場だ。

●楓信号場

石勝線建設により新規に開業した駅は3駅。楓はその貴重な3駅の中の1つである。沿線にはもともと夕張線登川支線が通っており,楓駅は旧・楓駅と登川駅の中間に位置する。付近には炭鉱があり早いうちに閉山したが,炭鉱住宅はそのまま残っていた。石勝線開業時の乗降人員予測では楓駅205人(うち定期134人),占冠駅75人(うち定期0人),石勝高原駅(現トマム駅)5人(うち定期0人)と,現在の情勢とのあまりの違いに驚く。
乗降人員予測の205人という数字は,旧楓駅と登川駅の乗降人員実績をそのまま合算したものと思われるが,結局,旧楓・登川駅の中間に駅を新設したことで両方の集落から離れてしまい,沿線の過疎化もあって利用者は激減した。当初新夕張−楓間に6往復設定された普通列車も,徐々に本数が減らされ,2000年3月のダイヤ改正ではついに1日朝の1往復のみという極限状態になり,さらに2001年7月改正では日曜運休となった。それでも最後まで地元の定期利用者がいた。
2003年7月19日,北海道新聞に翌年3月のダイヤ改正で楓駅が廃止される旨の記事が掲載された。2004年3月12日の旅客営業最終日には臨時列車が運行され,全国から数百名のファンが集まり別れを惜しんだ(参照:清水沢まつり&楓まつり)。現在は信号場となり,待合室と駅名板は撤去されたが,ホームは残存している。

新夕張−楓間の普通列車が使用していた3番ホーム。
幻の本線ホーム。定期列車で使用されたことはないらしい。
臨時列車では1991年頃,北大の鉄道研究会がキハ22単行による石勝線経由新得行「楓号」なる臨時列車を仕立てて本線ホームに15分間停車し,乗降を行ったという。また最近では2001年3月10日に運転された臨時急行「石勝高原号」(札幌→新得→富良野→旭川→札幌,キハ27-551+キハ27-552+キハ56-211+キハ56-202),2002年10月13日の「銀河オホーツク号」(札幌→滝川→富良野→釧路→知床斜里→網走→北見→陸別→池田→帯広→新得→楓→南千歳→札幌,国鉄色キハ183系)や,2003年11月16日の「『ぽっぽや号』で行く炭鉱で栄えた夕張地方旧私鉄を巡る旅」の臨時列車が停車している。
2番ホームへの連絡通路はすごいことになっている。
今はなき待合室。旅人が思い出をつづった「駅ノート」も置かれていた。
ほとんど真っ白の時刻表。 駅前には公営住宅が建つ。

●見どころ

下車できない。

新夕張 北海道駅前観光案内所 (信)オサワ