北海観光節小さな旅行記鵡川の水を巡る旅

鵡川の水を巡る旅 その1

2011年11月4日(金)〜11月5日(土)

今年で4回目となる「近自然ワークショップ&セミナーinしむかっぷ」が,11月4日〜5日,占冠村で開催された。1回目から毎回参加しているが(2009年は小さな旅行記鵡川源流を訪ねて参照,2010年は小さな旅行記鵡川を下って参照),いつも大変勉強になっているため,今年も参加してみることにした。

今年のテーマは「水を巡る旅〜スローシティ」である。今回はまた,旭川川村カ子ト記念館館長の川村兼一氏,作家の島村菜津氏というビッグゲストを迎えてのセミナーとなった。

占冠村は,占冠駅〜中央〜双珠別間に村営バスと日高町営バス合わせて一日9往復,占冠〜トマム間に村営バスとJR合わせて一日8往復の便があり,村内を移動するための公共交通機関がきわめて充実している村である。

とはいっても,時間帯によっては,やや不便を感じることもある。ワークショップは12時30分に上トマムのコミュニティセンター集合だったが,旭川から落合駅までJR,そこから村営バスに乗り継ぐという由緒正しいルートで行こうとすると,旭川5時47分発のJRに乗らなければならない。前日仕事から帰るともう日付が変わっていて,それで4時起きは厳しいので,お金は余計にかかるが,旭川7時20分発のスーパーカムイに乗り,札幌経由でトマムへ向かった。

トマム駅に10時38分到着。

トマム駅から上トマムの市街までは5kmほどある。この区間は冬に歩いたことがあるが,雪のない時期に歩くのは初めてである。今回初めて気がついたが,トマムリゾートの入り口から上トマム市街まで,広い歩道が途切れることなく続いているのである。これは歩かなければもったいない。

トマムリゾート。夕方からのセミナーはリゾート内で行われる。

 

トマム駅から上トマム市街までの間には,少なくとも10軒以上の農家が道路沿いにあったはずであるが,その痕跡はほとんど見つからなかった。恐らく,歩道の縁石が低くなって数mだけ取り付け道路が笹原に向かって延びているところが,かつての人家の跡だろうが,住人が植えたと思われる木の残る宅地がいくつかあったほか以外に,人が住んでいた痕跡はまったく見つけることができなかった。あまりに何もないので,人為的に廃屋が撤去されたのではないかとも思う。

 

1時間ほどで上トマムのコミュニティセンターに到着。ここに近自然ワークショップのポスターがあって,12時に占冠村役場前に集合してもバスに乗れたことを知った。それなら素直に富良野から占冠行のバスに乗ればよかったのだが,歩いていろいろな発見もあったので良しとしたい。

12時40分,占冠からの一行が到着して,オリエンテーションが始まった。自然ガイドの細谷誠さんから趣旨説明があった。それにしても,平日だというのにすごい人数で,事前申し込みのあった参加者だけで78名になるという。

13:00 「人間(アイヌ)の目」ワークショップ

村役場のバスで鵡川源流に向かう。ワークショップは「しむかっぷふるさとふっつくふるらむ協議会」と占冠村公民館の主催である。市民団体の企画したイベントに,役場が全面的に協力してくれるというのは,ほかの町村ではなかなかないことで,大変心強いことである。

今年は熊が多いということで,バスでかなり上流までさかのぼり,大きなトドマツの木のあるところが散策の出発点となった。この木には,熊の生々しい爪痕や体毛が残っている。木に残る爪痕は,餌をとるためや遊びで木に登った場合と,テリトリーを示す場合とがあるという。

今年,熊がよく人里に出るのは,餌となるどんぐりが凶作だからだそうである。占冠でも今年28頭の熊が捕獲されたという。占冠に棲むヒグマの数は明らかでないが,面積が227km2の富良野市の東大演習林に生息するヒグマが10頭〜15頭だというから,面積が571km2の占冠村で28頭の熊が捕獲されたということは占冠はずいぶんと熊の多い土地だということである。

ここからは上川アイヌの長の家系を継ぐ,川村カ子ト記念館館長・川村兼一さんの説明を聞きながら歩く。1回目の近自然セミナーでもアイヌのことが一つのテーマになったが,その時は私自身の中でアイヌと近自然セミナーの関係がいまいちきちんとつながっていなかった。しかしいま,川村さんと鵡川源流を歩くことは至極自然な成り行きのように思われる。お金で解決するのではなく,自然から頂戴し,知恵で生きていこうとしたとき,昔から北海道にいるアイヌの人たちの生活に立ち返らざるを得ないのは当然のことだろう。

木も草も虫もそれぞれの役割があるという川村さん。明治以来の同化政策の中でそういう宗教観が失われてしまったが,アイヌの文化や宗教観を取り戻そうと活動しているという。奥様の久恵さんによると,江戸時代には一つのアイヌの村に50〜70軒の家があったとしたら,1年間で20〜50万匹のサケ獲っていたという。その多くは交易品として扱われたという。

笹の多い旭川では,家を作るにカヤではなくササが使われたという。日高ではオニガヤで家を作り,樺太ではトナカイの皮を使ったという。その土地の自然から与えられたもので生活していただけに,家も違えば言葉も違う。占冠やトマムが,どのアイヌ文化圏に属すのかはわからない。しかし,トマムは,鵡川,石狩川,十勝川,沙流川の分水嶺が交わる特別な場所なだけに,アイヌの時代からいろいろな方面との交流があった可能性は十分にあるだろう。

10分ほどで双珠別林道のゲートを通過。ここから国有林地帯に入る。

鵡川の源流に到着。

ここのところずっと雨がなかったが,水はこんこんと湧き出していた。源流というのは湧水から始まるもので,村内にはこのような湧水がいくつもあるという。水温は約5℃。この水温は,この場所の年平均気温に相当するという説明があったが,これはまったく根拠のない話である。

土質によって異なるが,おおむね地表面下10メートル以上の深さになると年間を通じてまったく温度変化のない不易層と呼ばれる層が現れ,その温度は一般に地上の年平均気温とほぼ一致する。したがって地下水脈が不易層以下にあって,途中での温度変化が無視できるほどの水量で地表に湧出しているとすれば,湧出水の水温が年平均気温に一致するという仮定からこの話が出てきたものと思われる。

しかしこの仮定は,雪の降らない温暖地や,年中氷点下の南極では成り立つが,雪のある地域では雪が断熱材となるため,地表面下への熱の伝わり方が積雪時と非積雪時で異なることと,熱の移動が温度の変化ではなく雪の凍結・融解に消費されるという現象が生じるため,この仮定は成り立たないのである。

ともあれ,雨が降ってから何年,あるいは何十年とかかって出てきた湧水は,やはり神秘性を感じるものである。

ここで,川村久恵さんがムックルを演奏してくださった。ムックリということが多いが,旭川ではムックルという。昔,主人が狩りや交易に出かけてしばらく帰ってこないとき,さびしい気持ちや,無事に帰ってほしい気持ちを込めて奏でたりしたものだという。

アイヌにはいろいろな踊りがあるんですと言って,川村兼一さんがトドマツの踊りを披露してくださった。鵡川源流という特別な場所で,極めて自然な形で踊られた踊りに,参加者はみな深い感動を覚えたようである。

 

そして,最近大はやりしているというバッタの踊り。明治時代,船に乗って北海道に来たバッタが開拓地で大繁殖したことがあり,隣町の新得町にはバッタ塚などもあるが,そのとき飛んでいるバッタが面白いといって踊りにしたものだという。明治のバッタ大発生というと,自然の逆襲であり,開拓初期の悲惨な事件というイメージしかなかったが,アイヌにはこういう見方もあったのかと驚いた。

続いて久恵さんがユーカラの一節を披露してくださった。方言のきついアイヌ語にあっても,ユーカラに出てくる丁寧な言葉だけは全国共通だそうである。

こうして話をしている間にも,上トマムのまちなかで熊が出たとの情報が入り,バスに乗って一路セミナー会場であるトマムリゾートを目指すこととなった。

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